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2013/11/13

ツボ顔

好きな顔というのがある。
別に美人でもないし、可愛くもないのに魅力的なのが特徴だ。
勿論、美人の顔は美人の顔で堪らなく美しく大好きなのだが、そういうのとは一線を期した顔というのが存在する。
うまく形容できないが、「クセになる」という表現が一番しっくりくるかもしれない。
自分の屁の匂いを嗅いだりするときに感じるあの感情に似ている気がする。

例を挙げると、バレーボール女子代表の佐野選手が好きな顔である。
失礼だが美人ではない。
かといって不細工な訳でもない。(ここら辺は好みの問題です)
いわゆる一般人に居そうな顔。
僕はどちらかというと好みのタイプで、とても彼女が魅力的に感じるのです。

顔は性格を表すと良く言われる。
例えばどぎつい性格の人は顔にもそのような兆候が現れるし、ほんわかした人は顔も柔らかい表情になっていくのだ。
この彼女の顔はそんな人となりが凄い分かる感じで大好きである。
ちょっと疲れたような目に若干大きめの鼻。
説明は出来ないけど凄いツボを付いてくる。
愛嬌があるのはすぐに分かる。
それと同時に「この人絶対いい人だ!」という勝手なイメージを抱いてしまう。
もう何と言うか、見た目通りの人に決まってるやん!みたいな決めつけさえも生まれてくるのだ。

多分、いい感じのラインというかバランス感覚を持ってそうな世渡り上手な感じの人だと勝手に予想している。
何か知り合いに1人欲しいみたいな感じだろうか。
まあ全部勝手な妄想なんだけどね。
ココまで彼女の顔を見た瞬間にイメージしてしまうほど魅力的なのだ。

僕もそういうマイノリティーのツボを付く顔になりたい。

2013/11/12

dietは英語で「食事」という意味であるという知識を仕入れた中学生(一年の六月あたり)は母親とかにドヤ顔でそれを披露しがち。それで「アンタは全然太らなくて羨ましいわ〜」みたいな一連のやり取りありがち。

ココ最近ダイエットしています。
とりあえず無理に長期計画をすると必ず破綻する人間なので、十一月中だけはマジでやろうと意気込んでます。
とりあえず毎日プール通いに食事制限と王道な方法を試しておりますね。

しかし、プールは素晴らしい。
運動としてカロリー消費が最も激しいし何と言っても運動中汗ばむ事も無くさわやかな気分で身体を動かす事が出来るのですよ。
泳ぐという行為は全身運動であるし、バランスよく全身の脂肪を落とす事が可能となるんですねコレが。
しかも思った以上に水分を消費するためにプール上がりのアクエリがもはやアクエリではないビール並みの旨さを誇るのよ。
このためだけに頑張れると言っても過言ではないですよ。

しかし、ガチ野郎集団の隣で一人鈍足でレーンを占領しながら泳ぐのは少しメンタルをやられますね。
最近は「速く泳ぐんじゃなくて、痩せるために泳ぐんだ。彼らとはスタンスが違うのだよ」とちょっと悟ったような思想を持ち合わせたので平気になってきたのですが、初期の方は申し訳なさとかダサさで心がいっぱいになり過ぎて大変でした。
これはプール通い最初の難関でしょう。

そして食事制限ですがこれはかなりストイック突入しています。
基本的に豆腐一個かセブンイレブンで買ったサラダ死か食べません。
こんだけの寮だとお腹がめちゃくちゃ好くように感じますが、よく噛んで食べる事によりなかなかの満腹感が誇れます。
やっぱりゆっくり時間をかけて食べると案外少ない量でいけちゃうものですよ。
コレに加えて野菜ジュースをメインドリンクに変更すれば、栄養状態もそこそこ問題なく体調も良好に毎日を過ごす事が出来ます。
野菜にかけるマヨネーズを封印しないといけないのが辛かったのですが、何とかなってきました。

なるべく草食動物感を意識するのがコツです。
あと食べながら「肉を食べるとゲロを吐くのが止まらなくなるが野菜を食べるとなおる人」を想像すると必死に草を接種する気になれるよ。

そんなこんなでリアルヴィーガン生活を実施しているんですがもう既に二週間で五キロ近い体重低下の成果が上がっております。
体系とか顔つき的にはそこまで変化は感じ取れないのですが、朝体重計に乗るたびに前日から何百gと奪われていますと、嬉しいのですが不気味な気持ちに鳴ります。
汗とか熱エネルギーとかで消費されたのだとは思うのですが何百gもモワモワと減っているのが信じられないというか。
自室に自分の元肉塊が漂っていると思うと愛着がわきますね。
目に見えない分身を飼っているような変な気分です。

とりあえずこのペースでいけば半年後には消滅できるのでそれまで続けたいです。
ダイエット中に朝起きたら消滅してたって最高のギャグでありダイエットの証だよね。
ビフォーにダイエット前にデブの画像が映ってるのにアフターでは誰もいない空間だけ映されていて「七十キロのダイエットに成功し、消滅しました。前日まで何とか300gのかけらは残っていたのですが、朝スタッフが駆けつけたときにはもうすでに…」みたいな脚注ついてたら絶対その商品買うよ笑
それが理想!

2013/10/31

anti kyojin

僕はアンチ巨人である。
あの胡散臭い正義感に豊富な資金力にものを言わせる強さ、そしてナベツネなどヒール要素全開なのが素晴らしい。
アンチだからといっても本気で憎んでいる訳ではない。(勿論、チビでもない)
憎まれ役というのは勝負において見るものの気持ちを熱くさせるのだ。
勿論、マジで気にくわないところもあるけど笑

例えば巨人が消滅したらどうだろう。
ヒールが居なくなり、リーグ全体に面白みがなくなる。
阪神戦なんて永遠のライバルなのだからアレがなくなったら最悪だ。
だから巨人はセリーグに必要なのである。
アレが居ないと張り合いが無いのだ。

かといって巨人ファンは余り好きではない。
まず、何故巨人ファンになるのか意味が分からない。
昔はテレビ中継が巨人戦ばっかだったので老人層に巨人ファンが多いのはまだ分かる。
娯楽の少なかったあの時代、「巨人大鵬卵焼き」というメディアによる洗脳は容易く成功し得たのである。

しかし、今の若い人で巨人ファンになる奴って一体どういうつもりなんだろう。
こんな文化や情報も多様化しているのに、巨人を選ぶという愚直さ。
なんかダサさというか、俺とは友達に慣れない人間だなーと勝手な偏見を抱いてしまうのだ。

大体「強いから好き」という発想があまり好めない。   
純粋無垢な子供じゃないんだから。
やっぱりザコチームが大正義をぶっ叩くジャイキリにロマンを感じるのですよ。
皆さんもそう思いませんか?

2013/10/25

約束の奴隷

人と遊ぶ時に前もって約束するのが苦手。
「一週間後の火曜開いてる?」とか言われても多分開いているとしか答えようが無い。
というかその日になってみないとわからないのがイヤだ。
それまでの猶予期間が辛い。何故今からじゃないのかという疑問もある。
なんだかんだでその日も遊べるけど。

そんな約束するならば「今から遊ぼうぜ!」ぐらいのノリのほうがまだ好き。
大体今連絡付くぐらいなら大抵連絡する側の奴も暇だと思うんだけどどうなんだろう。
人と遊んだりするのは完全にその日のノリというかテンションにゆだねるのが好きなんです。

だからもし前もって約束してもそのプロミスの日に朝起きるとかなり憂鬱になる。
夕方から遊ぶとなるとその日はなんだか朝から変な感じだし、どこか頭の片隅にそのスケジュールがあって捕われているあの感じが辛い。
まさに約束の奴隷状態なんですね。

まあ社会人になって忙しくなったらアポ至上主義者へ変貌すると思うけど、いまのモラトリアム期間に約束なんてあほらしい。
恐らく約束を沢山する人って他にも沢山そういう奴が居るから管理しないといけないんだと思う。
そんないそがし野郎にはなれなんですよ僕たちは笑

だから偶然友人と出会ったらそのまま飲みに行くぐらいのノリが一番好き。
実際このノリはかなり断られる可能性が高いのだが、承諾を得たときは堪らない。
一回このノリで四国までその日のうちに旅に出たのはめちゃくちゃ感動した。
家で遊んでてぱっと思いつきで言った事がその日の夜には実現しているという事実はかなりアガる。

でもこういう事を主張しても余り賛同が得られないので、「皆思ったより暇じゃないんだな」としみじみすると同時に自分のフリーランスさに悲しみを良く覚えます。

2013/10/22

惑星ポスター

夜道を適当に散歩していた時の事。
全く知らない路地に適当に入りブラぶらしているとたまに魔境に侵入してしまう事がある。
暗がりのせいかおどろおどろしい雰囲気が漂い、家はあるのに誰もいないような感じでいっぱいになる不思議な現象だ。

何か訳ありな地帯に入ってしまったかと思うと急に開けて、めちゃくちゃ金持ちな門構えの家にぶち当たったりすると更に謎は深まるばかり。
後からグーグルマップで調べて、答え合わせするまでがワンセットである。
ネットがエモさに直結する便利な世の中になったとしみじみ。

そのときに出会ったとある家の壁に飾ってあったポスターがめちゃくちゃ不気味だった。
そのポスターは太陽系の惑星がエグザイルのように並んでおり、夜の雰囲気も会わせて気持ち悪さが荒ましい。
僕は惑星の画像が何故か分からないがめちゃくちゃ怖い。
それなのに惑星のオールスター軍団で攻めてこられたら堪ったもんじゃなかった。

大体、そんなポスターを外に飾るセンスもどうかしている。
家の中に惑星のポスターがあるのでさえ気持ち悪いのに外って。
せめてラッセンやヒロヤマガタに変えてほしいものである。

それだけと思いきや、その家にはもう一つポスターがあった。
今度はでっかい地球単独のものだった。
暗闇に不気味に浮かぶそれは気味が悪過ぎる。
悪趣味極まりないものだ。
いかにも「ガイア」という感じが更に気持ち悪い。
無機質に謎の警告をされている様で最悪だった。

まあそんな不気味ポスターに出会ったんだけど、後でストリートビューでその家を見直してみたら、見事に幸福実現党のポスターが掲示されていた。
納得するとともに色んな意味で不気味さが増してしまった。
ちょっとずれてる人ってやっぱそうなんだなーと実感。

しかし宗教ってホントいいものですねー。

2013/10/20

ジョジュツトリック

ミステリにおいて様々なトリックがあります。
密室トリックだったりアリバイトリックだったりと、「犯人が探偵」を欺くものが基本的なものです。
しかし叙述トリックと分類されるものはコレとは少し違って、「作者が読者」を欺くためのものなんですね。

小説は文章のみで構成される事をいい事に読者の思い込みやミスリードを誘い、意外な事実を隠蔽する、コレが叙述トリックなんです。
例えば、「主人公は男だととれるように描写していてじつは女だった」とか「二人の登場人物であるように描写して実は一人の事だった」みたいなものがあります。
登場人物の周知の事実を読者にだけ教えない、みたいな。
基本的にミステリにおいて映像化不可能と言われている作品はコレがある事が多いです。
まあ引っ掛けクイズを小説全編に張り巡らしたって感じですね。
僕はこういうハッとさせられるのが大好きです。

ミステリを読んでいて一番好きな瞬間がこの瞬間かもしれません。
意識の外からガツンと殴られたような衝撃が堪りません。
そして全て読み終えたあとにもう一度確認すると確かに嘘は書いてない!ってときの確認作業の時の幸福感は至高。
まんまと企みに嵌められたらココまで爽快になるんですよ。

しかし、このトリックの欠点は耐性がついてくる事なんです。
言ってしまえば一発ネタ。
一度使ってしまえばもう二度と使えないし、同じよなネタをされてもたいした驚きはありません。
しかも必然的にネタバレ厳禁になるので、皆でおおっぴらに語り合えないという欠点もあります。
あと「叙述トリックがあるよ」って分かった状態で読んでもそのサプライズは半減されてしまうのです。
性質上、悲しい運命を背負っているトリックでしょう。

叙述トリックの傑作なんて作品を生み出してしまった作者なんかはいつまでもその呪いにつきまとわれるのですね。
新しいものを出しても必ず過去のものと比較され勝手にガッカリされる。
創作においてはつきまとうものかも知れませんが、叙述トリックは性質上その傾向が強いと思います。

また、ネタも有限です。
捉えようによっては無限の可能性を秘めていますが、何冊もそういう系をたしなんでいると大体の傾向が把握できてきて、出会い立ての時のような衝撃とときめきは無くなっていくものです。
舌が肥えて来てしまった時の悲しさったらない。

最近ではもう叙述トリック一発大ネタって感じではなく、一つの作品に何個も仕込まれていたり、さりげない要素として取り入れられている事が多いですね。
既存のネタをいかにアレンジできるかってところも重視されている気がします。

まあもう出尽くしたみたいに嘆いている僕は凡人なのでそう思っているだけかも知れません。
まだまだ可能性はあると信じています。  
その中でも特に麻耶雄嵩には期待したいです。
メルカトルシリーズでおなじみ、熱狂的な信者をもつマーヤ。
そのゴリゴリに尖りきった作品達は舌が肥え、普通のミステリで満足できなくなった人たちの受け皿となり、一部(?)で爆発な人気を誇っています。

僕は特に「蛍」と「鴉」この二つの長編が大好きです。
ちょうどミステリを読み始めてしばらくして、 最初はビビったけどこんなもんかよと少し調子に乗っていた時期に出会えたのが良かった。
ネタバレになりますが、いわゆるこの作品達も叙述トリックを使用していて、その使い方が凄かったんです。
逆転の発想と言うか、まだまだこのトリックの可能性を見いだせて嬉しくなりました。
是非読んでいただきたいと思います。

最近では貴族探偵の「こうもり」という短編が凄まじかった。
嘘は書いてないよ?というドヤ顔が目に浮かびます。
同時にこのトリックを考えつくのは素人には無理だなと思わされます。
あと頭こんがらがらずに良く書けたと感心する事間違い無しです。

出来れば記憶を消してもう一度。

2013/10/16

迷子番組

寝る前に良く妄想をするのですが、最近嵌っているのが「気がつくといきなり富山県辺りの地方都市にワープしていた」という妄想です。
携帯もお金も持ってない状態で全く知らない街からスタートして、どうにか頭と足を使って自宅へ帰るのか試行錯誤するのが堪りません。
いわゆる「迷子」に憧れるんですね。

全く知らない街を徘徊しながら、見た事あるような無いような光景を思い浮かべ散歩する。
まさにロマンですよ。

だからテレビとかで迷子番組やってくれないかな。
主人公は目隠しで車に乗せられ、どっかに連れて行かれる。
そして見知らぬ地でおろされ迷子スタートみたいな。
なるべく世間知らずで方向音痴な馬鹿な奴が適任ですね。
日本地図とか都道府県全部言えないような馬鹿だと迷子番組がかなりいいものになると思います。

 あと主人公も見ず知らずの二人組にすると更にいいかもしれない。
童貞大学生とゴリゴリのギャルとか、小学生とオッサンみたいなミスマッチな組み合わせが更にエモさをそそると思います。
というかそういう水と油な二人組が協力して旅する番組は当たると思うんですがどうでしょうか?

例えば似たので言えばテレ東でやってる蛭子さんの旅番組とかおもしろいよね。
太川っていう真面目な人といい加減な蛭子さん+女性ゲストでバスを乗り継いで目的地を目指す奴なんだけど、これが最高なんです。
バスの待ち時間にいきなりパチンコにいく蛭子さんとかマジで吹く。
一度ご覧になってください。

2013/10/11

ザ・できてあたりまえ

自分を鼓舞するときよく「出来て当たり前」というフレーズを多用します。
基本的に試験勉強とかで死にそうになっているときに多様するんですが、
「やってない」は言い訳であってこのぐらいやってなくても「できてあたりえ」なんですね。

自分のぶち当たってる壁ってのは乗り越えれて当たり前なんですよ。
というか出来ないというのはそのレベルではありえないんです。
いかに自分が恥ずかしい考えなのか自覚しましょう。
しっかりやれば個人差はあるものの出来て当たり前な事ばっか。
だから言い訳する前に実行しろと。
むしろ本気出して出来ない方がださいみたいな。

あと自分の中の価値観で一番重要視しているのはいかにダサくない行動をとるかというのもあります。
「ださい」と思われるのが一番恥ずかしい。
「センスない」と似たようなニュアンスですが、別にセンスがありたい訳じゃないんです。
ださくなかったらいいですね。
最低限のラインはきちんと知っておきたい。

そのいいラインを見極めるのが大変。
いかに客観的になれるかが重要で自己の価値観に固執しすぎるのもよくないです。
でも無難になり過ぎてつまらない人になるのも嫌いなのですよ。

だから「ださくない界」では出来て当たり前のことを実行していきたいですね。
なんでもそつなくこなすのが理想。
でも平均すぎるのも嫌ですよ。

ハイ、終了。

 
なぜかenvyが楽曲提供。原点回帰な直球サウンドでカッコイイ。

2013/10/09

焚きティッシュ

昼間から最近嵌っているよなよなエールを片手にピザを注文。
ほろ酔い気分が気持ちがいい。
台風も開け、空も晴れてきて心地よい風がほほをかすめる。
タバコでもふかそうかと思いベランダへ。

ライターで火をつけてしばし一服。
アルコールと油分の多いピザを分解するニコチンの素晴らしい事。
すなわちタバコが旨過ぎるのだ。
一本目を吸い終わり焦がしてしまって灰皿に成り代わったフライパンへ棄てる。
酔っぱらっていたせいか、たき火がしたくなり灰皿フライパンの中にティッシュを数枚投入。
吸い殻がいい感じに燃焼して来てあっという間に火がついた。

それを横目で楽しみつつ二本目を吸い出す。
深呼吸して吸うとやはり味わい深く旨い。
珍しくヤニクラの症状が現れて少し焦る。
隣を見ると相変わらず凄い勢いで燃え盛るティッシュ。

なんだか気分がボーっとしてきて心地よいのだが、何やらさっきからフライパンの様子がおかしい。
異常な煙を発している。
匂いもヤバいし、意識もかなりもうろうとして来た。
気持ちよさと気絶の中間を彷徨い、頭がおかしくなってしまっていた。
完全に一酸化炭素中毒だったのだ。

すぐさま家の中に避難し、燃え盛るティッシュに消化。
なんとか被害を最小限に抑える事が出来た。
あのまま心地よさに浸っていたら絶対にヤバかった。
一種のトリップ体験的な感じの浮遊感に緊張感。
どこか連れて行かれるんじゃないかと思った。

2013/10/08

残飯ババア

さっき大学猫と遊んでいた時の事。
ここのところ何度も猫溜まりに通っているせいか、二三匹の猫達には「またたびの人」として認知されるようになってきた。
ベンチに腰掛け、さりげなくマタタビを振りかけ、しばらく待つと、そこそこの数がよってきて少し優越感。
やはり道行く人に対する「動物に好かれる奴」演出は辞められない笑

そんな感じで猫がよってくるので次の段階として現在はスキンシップに移ろうとしている。
野生猫は警戒心が強いため、なかなか触らせてもらえない。
何とか猫パンチの応酬を受けながら猫をかまおうと頑張っている。
まだまだ時間がかかりそうだ。

しばらくすると、ババアが近づいて来た。
一斉に反応する猫達。
自分の回りにいた猫数匹達は一目散にそのババアに駆けていった。
何事かと思い、呆然としていると、他の猫達十匹以上もどこからかわらわらとババアの元にやってくる。
総勢二十匹近い野良がババアの元に集結し、何かを求めていた。

ババアは持っていたビニール袋をひっくり返した。
そうすると流れ出るような残飯というかご飯が。
一斉に反応しむさぼる猫達。
このババアは恐らく残飯を毎日持ってくる「残飯ババア」なのだろう。
いかにも猫達に認知されており、堂々としていた。
さっきまで「またたびお兄さん」を自称していた僕がなんだか恥ずかしくなった笑
勝手に猫に認められたと思っていたのだ。
何と言う空回り加減。

しかもそのババアのカッコいいところは、残飯をあげたかと思うと、その食いっぷりを観察する訳でもなく、速攻で立ち去っていくのだ!
この「分かってる」感!笑
全ての要素で負けたと思わされてしまった。
野良猫を手名付けていたと勝手に思ってたのに、上には上が居たのだ。
非常にくやしいし恥ずかしくなった笑

2013/10/06

集団ヒステリー

一度だけコレを経験した事がある。
小学校の給食の時だった。
その日のメニューにはツナパンなるものがあったのだ。

コッペパンにツナ、いわゆるシーチキンにマヨネーズを和えたものを載せた総菜パンにありがちな奴。
僕はシーチキンとマヨネーズが大好きだったので嬉しかった。
しかし同じクラスのある奴がこのパンを見て、声を上げたのだ。

「ツナって猿の脳みそらしいぜー!」

言わんとしていることは分かる。
コッペパンの上に無機質に載せられたそれは、ツナごとベーカリーしてあるせいか、焼き目が付いて脳みそのひだひだ感がとても出ていたのだ。
その発言をきいてからどう見ても小動物の脳みそにしか見えなくなった。

その的を得た的確なたとえは多くの共感を呼び、他クラスにも伝搬していった。
小学生なので「ツナ」という単語の意味が本当に分からず、脳みそと信じ込んでいる奴もいた。

そんな事もあって給食が始まってもいっこうに皆、ツナパンに手を着けない。
特に女の子たちは本当に猿の脳みそを食べるかのように敬遠していた覚えがある。
ツナパン大好きな僕でさえ、何か気持ち悪くて手を付けれなかった。
匂いを嗅ぐと、なんだか脳みそ臭さみたいのも感じとれられたのだ。
脳みそ臭さが意味分からないけど笑

結局、クラスの八割方がツナパンを一口も食べずに廃棄した。
まさに集団ヒステリーというか集団心理が悪い方向に向いてしまったのである。
この猿の脳みそパンという事実を知った他のクラスでも同様の事が起こったのは言うまでもない。

それ以来、ツナパンは表舞台から姿を消し、給食界から抹殺された。
もし僕が勇敢に、「みんな騙されるな!コレはシーチキンと言ってマグロなんだ!証明する!」と言って旨そうに食べたら、この騒ぎは治まったのだろう。
非常に後悔している。
英雄や革新を起こすものは最初は理解されないのだと感じた心温まるエピソード。

2013/10/05

ポジティブ自殺

最近睡眠がバグっている。
ある時は夜の九時ぐらいに強烈な眠気に襲われ、めちゃくちゃ寝たと思ったら三時間ぐらいしか経ってないのに猛烈にすっきりしていたり、別の日にはどんだけ寝ても寝たりず、なんだかんだで16時間ぐらい寝てしまう事がある。

大抵そういう時は疲れが一切取れない。
訳の分からない時間帯に起きてしまうし、起きてからもやる事が無くて辛い。
いろいろとバグリ過ぎて困っている。

でもそのとき見る夢はなかなか名作ぞろいというか、印象に残るものが多い。
普段の自分にない発想に基づいた物語ばっかりで、新鮮な気持ちでエモいストーリーを楽しめるのだ。
しかし、起きた時の絶望感はその分強い。
まさに逃避この上ない。

とりあえずダッシュしてこよう。
ダッシュは全てがいい方向に向く。
気分が上がるし健康にもいい。
アニメのオープニングでキャラのダッシュ率が高いのも、人を前向きな気分にさせてくれる潜在的なサブリミナルの一種だろう。

ネガティブな理由で走る人は居ない。
殺人鬼から逃げる時でさえ、それは生存を求めるある意味ポジティブなものである。
飛び降り自殺をするときにダッシュで飛び降りる人は居るのだろうか?
それだったらネガティブダッシュに分類されるけど、イメージが無い。
というか走る気力があるならスーサイドできないと思う。
でもそんなポジティブ自殺も見てみたいわ。

2013/10/03

ザ・ツイッター

ツイッターを開始しました。
アカウントはコチラから→@curvetodeath

更新報告や記事にする程でもないエモい事があったときにつぶやきます。

このブログの右のツールバーの所にも表示できるようにしたので、マジで暇でやる事がない時などは見学してみてください。


「らいおんハート」のカバーというかアレンジなんだけどださ過ぎて爆笑しながら最近ヘビロテ中。
サビでの消化不良感がハンパないし、つんのめり感が凄まじい。

凄い疑問に思うんだけど、こういうゴリゴリでもないしゃら臭いラップユニットってどういういきさつで発生するんだろうか。
バンドみたいにライブハウスでこういう奴らもライブしてるんでしょうかね。

2013/09/30

鉄鋼野郎Feチーム

子供の頃、車に手首を轢かれた。
しかし無傷だったのが今でも謎である。

確か家の道路で一人でサッカーをしていた時の事だった。
孤独にドリブルにいそしむ僕の前に一台の車が現れた。

それは隣の家の人の車で駐車しようとゆっくりと侵入して来たのだ。
サッカーのトレーニングを瞬時にやめ、車の邪魔にならないように待機する。
我ながら出来た子供である笑

しかし、何かの弾みにボールが車の方にこぼれてしまったのを覚えている。
ちょうどボールが車の後輪に轢かれそうな感じなった。
「ボールが破裂する!」
車の心配よりもボールの心配をするところが子供である。

気付いたら自然に身体が反応していた。
ゆっくりと接近する車の後輪の前方に緩やかに転がっていくボールを弾こうと、右手が出た。

その瞬間であった。
ちょうど後輪がボールに乗り上げてしまったのだ。
そしてその隙間に何故か入る僕の右手笑
下から、地面→ボール→右手→後輪と行った具合に見事に挟み込まれてしまった。
その重さはセダンなので約一トン、後輪分なので四分の一の250キロが右手に掛かったのだ。

激痛が走るが、なかなか車はどけない。
十秒ぐらいした後、やっと車が乗り過ぎていった。
解放された僕は涙目になりながらボールを回収し、ダッシュで家の中に逃走を図る。
しかし、不思議と痛みも怪我も無く、無傷に生還したのである。

恐らく、下のボールがクッションとなりその重さを軽減してくれたのだろう。
しかし当時の僕としては「車に押しつぶされても怪我をしない鋼鉄の肉体を持つ男」と思い込んでしまったのである。
鋼マンとして友人達にふいて回ったのはいうまでもない。

2013/09/29

キャッツの「ツ」の連続を気にし始めるとキャベツ食べたくなる。

この前も書いたが、最近大学猫にド嵌りしている。
暇さえあれば、大学に出向いてまたたび片手に猫と戯れる。
趣味も楽しみも無い僕としてはコレだけで楽しい。
小学生レベルの楽しみなのだが、なかなか抜け出せない。

最近では隠れる事無く堂々とベンチに座り、タバコを吸いながら自分の回りにまたたびを一振りすると、匂いにつられわさわさと猫達が集まってくる。
「別に猫に興味は無いけど、動物を寄せ付けちゃう体質の人」感を道行く人々にアピールできるのが溜まらない笑
実際はまたたびの力なのだが、道行く人々には愛され体質の素敵人間に映っていることだろう。
というか集まり過ぎて猫の中に人間が居るという図に見えると思う。

とりあえず猫に夜中会いにいくために体内時計がおかしな事になっているので直したい。
日常生活に支障を来し過ぎな趣味である。
人間と猫は違う種族だから、猫はそこらへんを分かってくれない。
我々には日常生活があるのだ。
猫はあほみたいな生活が出来て羨ましい。

だからそんな逃避のために人間達は猫達を愛でて、飼い始めたのかもしれない。
愛玩や鼠退治などの意味合いもあるかもしれないが、その根本には脱力で自由な生活をそこに夢見ていたのだろう。
自分にできない事を猫に託す。
ムスコにプロ野球選手を目指させるオヤジみたいな思想がそこには詰まっているのだ。

2013/09/27

尾行備考微香

ストーキングに昔嵌っていた。
可愛い女の子に付いていったりするゴリゴリの犯罪行為ではない。
街でたまたま目についたおっさんやイケてない男子学生の後をつけるのが楽しいのだ。

これもある意味ストーカーかもしれないけど、犯罪ではないだろう笑
おっさんを尾行し、行動を探る。
ゴールはその人の家。
その人の家や見た目から人となりを想像して、独り悦に入るのだ。
イケてない学生なんかは特に妄想が捗る。
家が新興住宅地にあり、ちょっと豪華な感じだと、更にエモさに拍車がかかる。
恐らくひとりっこで手厚く育てられているものの、学校では二軍に所属し、馬鹿にされる人生を送っていると思うと切ない。
しかし、勉強はできるので彼の人生は上向きになっていくだろう。
完全に偏見をもとにした妄想なのだが素晴らしい。

あと、尾行する人ともう二度とあえないと思うと切なさがマックス。
まさに一期一会の出会いなのだ。
もう人生で交わることがないと思うと、泣きそうになっておすすめです。

でも、あるとき客観的に見て気持ち悪いとおもったので辞めました笑

2013/09/25

またたび

ついにまたたびを入手したので、それを片手にこの前学校内に発見した猫ベースへ突入。
今回も深夜四時の突入であったが、全ての猫が起きていた。
こいつらいつ寝てるのか疑問が残る。

暗闇の侵入者に猫達はびびり、ちりぢりになっていく。
警戒する猫達と距離を置きながらの観察がこれまでは続いていたが、今回は秘密兵器を投入。
自分の周囲に粉末状のまたたびをまんべんなく振りかける。
そうしてしばらく待つと、その匂いを感じ取ったのか一匹の猫が警戒しながらも接近して来たのであった。

しばらく様子を見ているとぺろぺろとまたたびを舐め始めた。
そしてついに横になり、酔っぱらいのような状態になった。
さすが猫界の合法大麻である。
その効果はてきめんで、身体の力が抜け、完全にラリっていた。

それに連鎖するように周囲の猫たちも吸い寄せられていき、順当にラリっていく。
深夜のドラッグパーティーの始まりである。
十匹程度の野良猫達が自分を囲んで脱力をし始める様は爽快だった。
恐らく教祖様はこんな気分が毎日味わえるのだろう。
そりゃ宗教が流行る意味も分かる。

ベロンベロンになった猫達を観察しながら一人で爆笑していると、 通りに謎の車が通過した。
よく見ると警備会社の車で敷地内をパトロールしていたのだ。
ドラッグパーティーから一瞬で緊張が走る。
今バレたら絶対捕まると思ったので茂みの中に身を隠す。
この緊張感はヤバかった。
夜中の四時に茂みの中で隠れているところを見つかるなんて、イリーガル行為しか捉えられないからである。
しかも粉末状のまたたびもドラッグだと勘違いされるに決まっている。
「猫の世話をしてまして…」というのも言い訳にしか思えない。

でも本当に怖かったのは「野糞をしている」と勘違いされる事であった笑
ドラッグよりノグソだと勘違いされる方が恥ずかしい。

しかし上手く隠れることができてその場をやり過ごせた。
忍者の末裔ではないかと自分を疑ったものである。
恐怖でいっぱいになったのでその場を立ち去り、敷地からそそくさと退散する。

帰り道にそのセキュリティーカーと鉢合わせ、散歩している人を演じながらもめちゃくちゃ動揺したのはまた別のお話。

2013/09/24

アジアの若者

東南アジアとか中国韓国のオシャレな若者を見ると切なくなる。
なんか背伸びした感じが堪らない。
欧米への憧れみたいのが見え隠れしてしているのだが、アジア体系に全く似合っていないあの様。

ヨーロピアンには絶対勝てないと思うと悲しくなる。
独自のスタイルを展開すればいいのに模倣に走る切なさ。
資本主義が生んだ悲劇(?)とも言えよう。

とくにタイとかの若者の切なさはヤバい。
言葉にできないけど、一目見れば分かる。
地元で有名なDJの様なタイカルチャーの体現者みたいな人を見た時の諸行無常さ。

あと台湾とかの前髪七三みたいなぴたぴたヘアーでアラレちゃん眼鏡の切なさもいい。
四人グループいたら三人はそれなのが面白いのだ。
日本人も外から見れば大体同じように見えるのだろうか。
非常に興味深いものである。

2013/09/23

猫溜まり

ついに近所の大学の猫の本拠地を特定できた。
夜の11時ぐらいに行ったら4〜5匹溜まっていてテンションが上がったものの、近くのベンチにいい感じの恋人がイチャついていたので猫との交流は断念笑
空気ぶっ壊してホーミーをやろうかと思ったけどまだそのハートの強さは持ち合わせていませんでした。

日中は人通りも多いし、かといって夜中に行ってもそこそこカップルとか居るのでなかなか猫と心から絡む事が出来ない。
なので時間を置いて夜中の四時頃に再び猫たまりへ突撃。

静寂が訪れた大学。
ひとっこひとりいないその空間はとてつもないエモさがありました。
そして期待をしながら猫ベースへ突入。

信じられない程の猫がいた。

二十匹程の野良猫達がベンチの下に身を寄せ合っていたのだ。
中にはじゃれ合っている奴らや熟睡しているものなど多数。
まさに猫の楽園がココに存在したのである。

とりあえず警戒させないように静かに近づく。
野良猫はなかなか心を開かないため、自分から接近し過ぎたり触りにいっては行けないのは鉄則。
餌やまたたびなど手みやげがあればなお良し。
しかし、手ぶらでの突入だったため、猫達といい距離を保ちながら持久戦に持ち込む。
忍耐こそが野良猫攻略の一歩である。

とりあえず心からの交流を図るため、地面に寝る。
恐らくヒトに見られたら確実に通報か心配されるのだが、そこは深夜四時で無問題。
目線を猫達と合わせ、静かなる交流にテンションが上がる。
そして写真を数枚撮り、満足した後に退散。

夜中の野良猫だまりにマジで感動した。
ココ数日、夜中や明け方になると毎日そこに通っている。
何とか心を開かせて、子分にしたいものである。
光り過ぎ。

2013/09/22

早朝徘徊

深夜徘徊もいいが早朝徘徊もいい。
また違った趣があって堪らない。
深夜徘徊は夜中特有の「この世で独り」感を存分に味わえるが、
早朝徘徊はそれとは違って「コレから動き出す」感が堪らない。

朝の六時ぐらいにそこらへんをぶらぶらすると既に働いているバイトくん、散歩に精を出す老人、ペットを散歩に連れ出す人たち、オールして死にそうになっている大学生、ワンカップ片手に闊歩するロートル、出社前にジョギングを欠かさないエリートっぽいリーマンなど様々な人種に出会える。
一種の人間交差点というか、普段だったら絶対絡まないような人々に出会えるのがとてつもなくエモいのだ。
その人達の人生を想像してセンチな気分になる事間違い無しである。

散歩が終わった後に松屋に行ったら、新聞配達を終えて腹ごしらえをしようとしている青年がいた。
なんか勝手に色々境遇を想像して凄いエモーショナルな気分になった。
両親は幼い頃に居なくなり施設に預けられ、今は新聞配達をしながら定時制に通い、大学入学を目指す、みたいな笑
早朝の松屋で運命的な出会いを果たし、彼の運命は変わっていく事だろう。

それぞれの人生を勝手に妄想して自己満足するのは楽しい。
早朝徘徊はそんな妄想に直結するような訳ありそうな人々に出会える。
そういう短編集みたいなのが欲しい。
まさにエモ。