2014/08/01

夏一発目

変な友人がいる。
いい奴なのだがどこかつかみ所がなく、狂ったような発想を遺憾なく発揮してくる。

例えば、旅先での事。
旅と行ったら基本的にはグルメがつきもので、ちょっと奮発してその地の名産を頂く事が多い。
僕は食事こそが旅のメインであると思っているのでそういうリサーチは欠かさない。

しかし、その友人は食に対する興味が一切無いのだ。
なのでどんな旅先でも安定した品質が望めるチェーン店を求めてくる。
曰く、「個人営業の店は全般的に信用ならない」との事。 
旅先では昼飯時になるとおもむろにやよい軒やココスを探し出してしまう。

あと、凄いケチであり、僕が探し求めた名店に連れて行き、「この店はコレが美味いらしい!」と押し付けがましく提案しても、メニュー表から最安値のものをピンポイントで選択してくる。
食べ終わった後は決まって「個人営業はやっぱりたいした事無いな」と捨て台詞は吐くのがお約束である。看板メニューを食べてすらないのに。

一番笑ったのが、旅先のコンビニで弁当を買ってそれをホテルで食べようと提案された時である。
しかもメインディッシュの晩ご飯である。
ホテルの部屋の地べたで冷たいコンビニ弁当と発泡酒をつついたのが懐かしい。

そして彼の凄いところは秘密が沢山ある事である。
知り合って数年経ったのにも関わらず、毎回新たな一面を知る事になるのが楽しい。

現在の彼は普通のそこらへんに居そうな天パのにーちゃんなのだが、中学時代までゴリゴリのドヤンキーであったという事実が同級生の証言によって発覚した。
ぱっと見なかなかの優男で現在では、「キレる」という概念すら存在しない仏のような彼は青時代を喧嘩やイリーガル行為に捧げていたという。

また、彼の中学には「決闘」という概念があり、文字通り、公園に集結し、敵対するもの同士でファイティングを行うのだが、彼はそのエピソードを「中学あるある」かのように語ってくるのがこれまた恐怖。
曰く、「いい方のヤンキー」だったそうであるが、集団窃盗を行うが弱きものには手を上げないのが、「善し」とされるヤンキー界隈に戦慄せざるを得ない。

なぜ現在の彼がその面影を見せないかというと、中三のある日、改心しヤンキーを卒業、進学校目指し必死に受験勉強を開始して見事志望校合格、進学クラスから大学入学というサクセスストーリーを持っているからで、ヤンキー時代は自伝にするときに黒歴史だかららしい。

学生時代半端にやんちゃだった奴らは基本的に武勇伝っぽく自慢げに語るのが通常であるが、積極的に語ろうとしないスタイルをとる彼はまさにモノホンのキーヤンであり、キレさせたらどうなるのか恐怖である。

解き放たれるエピソードのぶっ飛び加減やリアリティが一つもふかしでないという証明であり、一つ一つ淡々と語られるその様は非常に興味をそそるものである。

そして、極めつけなのが、某凶悪犯罪者と友人だったという話である笑
しかも、この話を事件発生直後ではなく、忘れ去られた頃にするのが彼の不思議なところである。
確か、飯を食べているときに自分の同級生自慢のような話になり、皆、「学生時代、バンド組んでた奴が今、別のバンドで大成してる」だとか、「親戚に凄いスポーツ選手がいる」 などといったそこそこのエピソードを話している中、「実は…」と必殺技かのように放り込まれたのである。

その衝撃は計り知れなく、当時のエピソードを紹介し、「彼はやっぱりああなる奴だと思ってたよ」と締めるその語り口はやはり自慢する訳でもなく、淡々と事実を述べているだけであるのが魅力的だ。
底の見えないミステリアス加減にもうメロメロになってしまう。

そしてそんな彼は僕のごり押しの甲斐あってか最近やっと食事に興味を見いだして来ている。
「美味い店があるんだよ」と飯に誘ってくる事も珍しくなくなり、やっと人間らしくなってきたと内心感動していた。

この前、とあるトリ料理の店に連れて行ってくれた。
そこはトリの刺身というなかなか珍しい料理を出してくるお店で、味も雰囲気も良く、皆大満足の夜であった。
ここまでだと、食事に興味の無かった彼が、成長し、店をチョイスするようになり、なおかつセンスもいいという感動秘話であるが、この話には続きがある。

後日、僕はとんでもない腹痛に襲われた。
普段からお腹の弱い僕であるが、明らかに性質の違う腹痛であった。
勿論思い当たるのは先日の鳥刺。
アレが見事に当たったのであった。

最初はお腹が弱い自分だけが被害にあっていると思っていた。
しかし、同席した別の友人からも同様の報告があり、あの時のトリ料理が明らかに悪かった事が確定。
心配になったので、その店を紹介してくれた例の変な友人に連絡してみたところ、案の定、当たったらしく、体調不良と戦っていたのだ。

ここまでだと単なる不幸なエピソードである。
しかし、その彼から驚愕の事実ともいえるメールが届いた。
「トリの刺身に当たって思い出したんだけど、前にあの店に行ったときに、同じように食中毒にかかっていたんだ」という旨の独白である。
何故そのような痛烈なエピソードを忘却の彼方へ置けるのか。
そして、またそのお店を「美味い」という名の下、友人達に紹介できるのか。
今になっても意味が分からない。
友人のみに感染させる目的で紹介したテロリズムならまだ分かるが、自分も参加するという自爆テロっぷり。
しかも、彼は鳥刺しが大好きで追加でオーダーしていたのが印象的であった。
やっぱり、後日の体調不良リスクがあると思っていても、美味しいものには勝てないのだろうか。
更に彼の思考回路の謎っぷりが発揮されたエピソードである。

彼のあだ名が「バイオハザード」になったのは言うまでもない。

2014/07/14

懐かしの…

高校の時の文化祭の話。
文化祭の思い出と言えば、団結、協力、友情、絆!と素晴らしいエピソードが氾濫している世の中ですが、僕の場合はダークサイド!

ダンス班、衣装班、デザイン班の三班に別れて基本的な作業は行われるんですね。
もちろん元気なクラスの中心達はダンス班!
体育祭も兼ねた文化祭だったので、メインはダンスなんですね。
学年全体を指揮したりと中心となって活動する憎たらしい奴ら!
笑いあり、涙ありの生活を送る事が出来、ステレオタイプな学祭といえばこいつらが良く出てきます。
ちなみに学祭終了後に泣く権利を持っているのはこいつらだけです。

そして見事選抜入りを逃した女性達が所属するのが、衣装班!
ダンス班の衣装や美術品を作ったりするクリエイティブな役割ですね。
クリエイティブと言えば聞こえはいいのですが、その実態は余り目立つ事を好まない女の子の内職の場と言った感じで、手先の器用な所詮クソガールの吹き溜まりなのです。
美術部の「学校での立場は弱いがクリエイティブな自分を表現したい!」的女が張り切ってしまい、一般市民的な感覚とはかけ離れたプログレッシブなセンスを発揮し、「うわぁ」となるのに欠かす事はありません!

そして最下層、デザイン班!
目立つ、やる気を出す、イベントを楽しむという行為に嫌悪を示す史上最悪な漢達の吹きだまりなのです。
班決めの際に「まずダンス班を決めます。余った奴らはデザイン班ね」と言われるように、 全員参加が原則の学校教育という建前、やる気の無い人に無理矢理与えられているような役職ですね。

コチラの班でも、メンツの中ではクリエイティブな部類に入るマンガ研究会の連中が張り切ります。
チームを象徴する10mぐらいの大きなポスターを作るのがメインな仕事であり、デッサンの狂いまくった「普段、アニメチックな絵ばっか描いてるけど頑張って大衆迎合して、渋い武士を描いてみました」的なポスターが頻出するのです!

勿論、下書きは比較的クリエイティブ人間が頑張るのでまだ文化祭レベルの体裁は保たれますが、色塗り実働班はやる気の無いダークサイド人間達!
彼らに色彩センスがあるはずも無く、持ち前の不器用さも手伝って、なかなかキュビスム溢れる完成度を誇ります。
誰かが、間違って絵の具をブチこぼすのは当たり前で、全ての班にその汚れと格闘した痕跡を見つける事が出来るのはご愛嬌。

僕は勿論、デザイン班に参加していたのですが、同時に学生生活で唯一輝ける場であるバンド発表も控えていたので、「スタ練あるから」とほぼ毎日、颯爽に立ち去ったのがいい思い出です。
でもバンドの練習なんて実際は週2ぐらいなので、基本的には嘘をついて、ブックオフに行っていたのですね!
一度、サボってブックオフに行っていたのがバレて、言い訳に「今日はブックオフで練習だったんだ。あそこは実は防音設備が凄い」と言い張ったのが懐かしい。

2014/05/23

the band apart BONGO e.p.

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00JDSYB5U/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B00JDSYB5U&linkCode=as2&tag=tapo1127-22

バンアパシングル出ました。
一つ前のシングル、tokumaru e.p.から八ヶ月という今までだとあり得ないペースでの発表。
作詞作曲分業体制やその前のシングルからの日本語化が色々バンド内に変化をもたらしてるんでしょうか。
ちょっと調べるとアジゴシも体制が変わったみたいで自分たちの意志でゴーサインが出せるみたいなことも言ってます。

今回のシングルはプロモーションに力を入れていたので、いろいろと制作秘話みたいのが聴けて満足ですね。
特にバンアパの場合、誰が作った曲とか、元ネタとかを掘り下げるのが楽しいので、こういうメンバーの考えが発信される場が多く設けられるのはリスナーとして嬉しい限りです。

また、BONGO e.p.というシングルタイトルは全ての楽曲に打楽器のコンガが使用されている事に由来しており、最初はコンガイーピーだったけどボンゴの方がださいから、という理由で採用されたというバンアパらしさ笑
ゴルフ感であったり、ダサさを絶妙なセンスでシャレオツに昇華してるのが上手いですよね。(確かにダサイという先入観を持つと、ダサく感じることもある笑)

それで、今回も先述した通り日本詩、分業体制らしいんですが、今回は完全分業に飽きたらしく、少しづつ皆のアイディアを反映させて行こうという流れになったらしいです。
元ネタを持っていって後は皆で作るみたいな感じ。
次からは合宿とかして、皆で作りたいとの事。

確かレコグナイズイーピーは合宿して作ったんでしたっけ?
寝る前の人生ゲームが合宿中唯一の楽しみだったってのをどっかの記事で見た気がします。

それでは全曲の感想を。

M-1 誰も知らないカーニバル
PVにもなっており、一応リードトラックに値するんでしょうか。
今回の四曲で言えば一番「現在のバンアパ」を表している曲だと思います。
担当は原さんで、随所にこだわりの見えるいい感じのナンバーです。
聞き込む程味が出てきそうな曲ですね。

メインのリフがいいよね。
バンアパって歌の無い状態を完璧に仕上げることが多いらしいです。
だからインストでも聴けちゃうクオリティに持って行けるんだよね。 
あとサビのかすかに聞こえる高音コーラスがいい味だしてます。

特に日本語になってから歌詞の意味がダイレクトになっていて、原さんのセンスを直で感じられて好きですね。
「漢気で飯は食えない」ってのが凄いグッと来た。
それまでも原曲(はらきょく)だと自信の父親に対して歌詞を描いてると言ってたんですが、今回もそれに近いような感じなんでしょうかね。

あと原さんの楽曲制作に対する価値観として、「自分が金を出してこの曲を買うか」というものがあってそれが凄い好き。

pvはスーツでびしっと決めており、曰く「結婚式の二次会をイメージした」との事。
あと最初のテロップが「the band aprt」っていうミスり加減笑
ちなみにpv監督は同時発売の映像作品「510×283」を担当している方で、川崎の後輩で某ジェイ○ムの契約社員らしいです笑

さらにこれはマジでどうでもいいと思うんですが、今回のDVDに自分が若干映ってました。
BIGCATのライブで川崎が珍しくMCをするっていうVTRがあるんだけど、その登場前に、スマホ掲げて写真撮ってる不届き者が僕ね笑

演奏中じゃないから大丈夫だろうとビビり散らしながら記念に激写。

正直、ライブハウスの撮影がアウトとかグレーとかはっきり分かってなかった自分としては、川崎が出て来て「録音とか撮影が…」って言われた時は一瞬ビビり狂ったね笑
その前ぐらいに荒井さんのソロの違法録音とか出回ってたし、そういうのを把握したバンド側が直々に注意したのかと勝手に恐れ戦きましたよ。 
「自分の知らないところで同じように撮影とかしまくってる奴がいるんだ、やっべ!」みたいな笑
回りの人の目線を勝手に感じ、独り吊るし上げられているような嫌な汗をかいたのを覚えてます。

まあ結局は機材の不調で申し訳なくて謝罪したっていう、自分の心配とは全く関係ないオチなんですが、映像として記憶されていると、見るまで忘れてたこんな罪悪感に溢れた被害妄想的な思い出が鮮明に呼び起こされるって訳ですよ笑
いい思い出ですね。 
しかしあの日のライブでそんな機材トラブルがあったなんて全く気付かなかったなー。

M-2 The Base
疾走感溢れるロックナンバーとでも形容しましょうか。
川崎曲であり、リードギター川崎節全開のストレートな曲でありますね。
元々、今回のシングルはbpm120程度で四曲つなげようと言うコンセプトがあったらしいですが、この曲だけbpm180という爆速加減で破綻したらしいです。

あまりバンアパっぽくないラインの曲だと感じますね。
すげー早いし笑
まあ、本人達も「自分たちが作れば何でもバンアパらしさは出るから、らしさを無理にこだわっているところはない」とか「楽曲制作は卒アルとか記念撮影みたいなもので、その時の自分たちの記録」と言ってます。
この考え方凄い好き。

でもc.a.hとかbindとかblackといい、川崎マインドみたいのが一貫して感じられるのはいいよね。
サビで一気に転調して少しハッとするような展開が好きです。
歌詞もご近所トラブルを表現しているらしく、川崎家の隣のババアが頭おかしく、色々こまっているのをあらわしてるそうです。
あとコレもPVになってるんだけど、凄い90年代のバンド集がする映像だと思う。
カラオケでPV付きの曲で後ろに流れてそうな映像イメージが浮かびます。

M-3 来世BOX
コレは小暮さん担当のノスタルジー溢れる曲。
歌詞と曲調のマッチングが素晴らしい。
昔仲良かったけど最近会わなくなってしまった人々や自身の祖母との思い出を歌ったエモい感じの曲です。
本人曰く、「藤子不二雄感がある」とのこと。

全体のコード感とか間奏のギターの謎エフェクトが堪りません。 
間奏のピョコピョコ鳴ってる部分のエセ南国リゾート感たるや!

個人的には子供の頃見ていたアニメのエンディングとか、暑い夏の日の夕方に散歩ってイメージが浮かんできました。
今回のシングルで初聴では一番心掴まれてますね。
寂し懐かしい気分になって泣きそうになるんですよ。
夏休み感が凄いある。

あと歌詞の(ソース入れた)ってのがツボ。
歌詞カードに丁寧に括弧までつけられてポツンと(ソース入れた)という字面が面白過ぎる。
こういう遊び心(?)が堪りません。

M-4 環状の赤
最後は荒井さん担当の曲。
イントロの荒くれ者フレーズから一転してAメロはアメリカっぽいパート、Bメロはゴルフ感、そして泣けるサビへとつながるんですが、不思議とまとまりがある!
ライさんは日本詩になってからメロディーメーカーとしての才能を遺憾なく発揮して来ている印象がありますね。

サビのメロディが堪りません。
誰が聴いても気持ち良さを感じるセンス溢れるメロディで、おばあさんに聴かしても好評価を得られそうな普遍性があるよね笑

それとBメロの川崎のギターフレーズのゴルフ感が凄まじい。
ゴルフ場と爽快な青空を浮かべずには居られません。(海辺が近そうなところね笑)

歌詞に関して言えば、元々別の歌詞があり、北斗の拳っぽい熱さがあったらしいので急遽書き換えがされたようです。
それと、ライさんの歌詞って「テールライト」とか「ネオン」とか街感があるよなーなんて思ったり。

今回のシングルも個人的には満足で、何十年後にも聴けそうなセンスが堪りません。

僕の中ではバンアパって今、三期目ぐらいの感覚なんですよ。
1stから4thアルバムまでが同じ方向性の第一期なんですね。
クリーントーンを多用するオシャレなバンドって印象で、メロコアから始まり、ジャズ、フュージョン、ファンクを中心に取り入れたセンスのバンドというイメージ。

それで5thアルバムから一皮むけたなーって印象でそこからが第二期。
分業体制もココから始まり、いろいろと環境も変化したんでしょうね。
個人的には楽曲に色がついて来たというか、似たり寄ったり感がなくなって(別に第一期が似たり寄ったりって訳ではなくて、よりクリアに色がついて来たイメージ)、遊びの部分が増えたかなという印象なんです。
それから日本語シングル、6thアルバム、徳丸epまでが第二期。

それでこのシングルから第三期に移行しつつあるなーという印象。
だから2.5期ぐらいのイメージです。
大人っぽさというか、若さ故の尖り加減みたいのがなくなって、肩の力抜いて作ってる感覚ですね。(それでもレコーディングは毎回地獄という笑)

こうやって長い間、新たな発想に基づく楽曲を作ってくれてるのは素晴らしい事です。
基本的にバンドって長く続くと、どっかでガッカリアルバムとかいわゆる「枯れた」感みたいのを感じる事があり、少し切なくなっちゃうんですが、バンアパに限っては無い!
あと同時発売のDVDで荒井さんも「聴いてる人の青春に食い込めるような音楽をやっていきたい」と述べてましたが、確実に僕の青春に食い込んでます!!

2014/04/16

関西弁

僕は関西人では無いがバリバリの関西に住んでいる。
関わる人間は皆関西弁であり、いかにも「ナニワ」な空間が繰り広げられる。
かといって僕自身関西弁になるわけでもない。

僕の生まれはクソ田舎で、それこそ方言がややキツい。
僕自身方言が強い訳ではないが、やっぱりそこには若干のアイデンティティめいたものがあるわけで、癖の強い関西弁になってたまるか!という思いがあるのだ。

実際に地元を同じくして関西に渡った知り合いが、夏休みなどに帰省して出会うと、バリバリの関西弁になってて、ださいと思ったのもある。
二十年近くその土地で育ったくせにたった半年間、別の土地に行くとその言葉が移るとは何事なのだろうか。
明らかに意識してないと関西弁にならないとこちらは実感しているし、完全に見下す対象に感じたので、僕は絶対に関西弁にならないと決めたのだ。

でもたまに関西弁になってしまう事がある。
関西弁というのは一定のシチュエーションでは便利な言葉なのだ。
例えば、物事を頼むとき。
「一緒にどっかいこうよ」と通常では言う。
でも僕は人を誘ったりするのが苦手な人間であるため、このセリフはなかなか言いづらい。
しかし、「一緒にどかいかん?」だとどうだろうか。
是非、人が誘えないと実感している人間共はこのセリフを口に出してほしい。
明らかに言いやすいのだ。
僕なんか、「どっかいこうよ」というセリフを吐くのすら恥ずかしいのでわざとらしく敬語になってしまうというクソメンまっただ中なのだが、
関西弁を駆使するとかなり言いやすくなるのだ。
これでかなり得してる部分はあると思う。

このように関西弁はコミニュケーションを円滑にする言語であると感じる。
ある程度、気を使わないですむ言葉というか、人の内面に入りやすい言語だと考えている。
ステレオタイプな関西人というのは言葉に寄って形成されたのも納得できる。
あの嫌にフランクな感じは全て、言葉が内包するフランクさに影響されたものなのだろう。
だから関西人のコミュ障や人見知りは、全国的なものに比べるとまだまだフランクな可能性が高い。
どんな奴であっても関西弁というツールを使用すれば、ある程度、コミュニケーションにおいては補正が掛かると感じている。

そして関西弁というのは発言の面白さを協調するツールであると感じる。
例えば突っ込みにその傾向が顕著に現れてると感じる。
「何でやねん!」というセリフとともに切れ味鋭くボケにツッコム。
テレビでもよく見かける光景で視聴者の気持ちを代弁してくれて気持ちのいいものだ。
お笑いにおいては突っ込みが笑いを生む重要な作用を持つと感じている。
同じボケでもツッコミが違えばその面白さは何倍にも膨らますことができるのだ。

だからおなじ「何でなんですか」という意味を表すツッコミでも、
「なんでやねん」と「なんでだよ」は印象が違ってくるのだ。
最近では関東のツッコミも台頭してきて、もはや東西でツッコミのスキルは無く、あとは個人に任されるものとなっているが、やっぱり、少し前までは文化の中にツッコミが形成されていた関西がやや有利であった。
やはりそこには関西弁の持つフランクで親しみやすさがツッコミというものに上手く作用していたのだ。
だから、同じ言葉でも関西弁のほうがポジティブに作用されやすい。
よってダウンタウンなど明石家さんまは面白いのだ。(彼らの持つ根源的なおもしろさに関西弁が作用し、更に面白くなっているという意味。)

関西弁というのは言葉の持つ力を増長させるのに上手く作用するのだが、それはマイナス面にも痛烈に作用する事となる。
これは僕の関西圏で生活した事に寄る実感なのだが、関西人でつまらない奴は死ぬ程つまらない。
ただでさえつまらない発言に関西弁が乗っかる事により、その哀愁やクソさみたいのはさらに増長するのである。

だから、つまらない関西人ほどかわいそうになってくるものはない。
関西というのはお笑いの文化が台頭しており、基本的にノリもよく、面白い人間が多いと考えられている。
そして関西弁を用いるものは少なからず、標準語に比べるとユーモアがあるという勝手な先入観があるのだ。
しかし、つまらない関西人というのは「自分がつまらない」という自覚がない。
面白いとかってに思い込み、面白さを増長する関西弁というツールを巧みに操る様は非常に哀愁を誘うのだ。

ハリボテ感みたいのが凄まじいところに哀愁を感じてしまう。
関西弁は面白さを増長するツールであり、その言葉自体に面白さはない。
なのに関西弁を巧みに使いこなす彼らは、ふくらし粉のみで全く味がない。
そこに悲しさを感じてしまう。

それに関連すると標準語で面白いフレーズや発想というのは根源的に面白いのだ。
これは僕が勝手に思っていることなので参考程度に思っておいてほしい。
ただ、関西弁は言葉の持つ意味合いをさらに補強する作用がある。
頼み事であったり、怒るときであったり、ツッコミであったり、そういう場面ではかなり+に作用する。
しかし、おもしろ事を言う際には、ムラっ気があるというか、それぞれの方向に強く振り切ってしまうので注意が必要なんやねん。
自分、理解でけたか?(これがやりたくて長々書いてただけ笑)