2013/09/15

未来人

さっき近所を歩いていた時の事。
台風のせいか、パラパラと小雨が降り出したのでいそいで帰宅しようとしていた。
雨の中、後ろからめちゃくちゃクラクションが鳴り響く。
人通りが多く、狭い道なのでこのような事は日常茶飯事であるが、怒り狂ったようにクラクションをその車は連発していた。
たまにこういうキチっぽいおっさんいるよなという感じで人々はモーセの如く道を作る。
そしてそれに満足したのかその車は荒ましい速さで過ぎ去っていった。

その車の後ろに一台の原付が走っていた。
オッサンがカッパを着ていて、雨に対する準備完璧だと思っていたが少し違和感があった。
足下に注目すると、そのオッサンは靴を履かずに、素足で原付を運転していたのである。
思わず笑った。素足に原付て笑

もっとよく見ていると、どうやら素足ではなかった。
足裏だけ真っ黒になっていて、足袋のようなものを足の裏に貼付けていたのである。
ますます意味が分からな過ぎて笑った。
足裏にヌーブラを貼付けている様な感じを想像してもらいたい。
ぱっと見素足なのに足裏だけは完璧にガード。
機能性と効率性を追求した素晴らしい靴(足袋?)を垣間見た瞬間であった。

思うに、あのオッサンは未来人だろう。
あんなスタイリッシュな足下は見た事が無い。
台風のせいで時空に歪みが出来て、気付いたら2013年の九月にたどり着いたのだ。
オッサンの前を走っていたクラクションカーも同様かもしれない。
あまりの突然の事に気が動転してしまったと思うと合点が行く。

恐らく、僕は今日からあの靴の開発に乗り出す。
そして近い未来開発に成功して巨万の富を得るだろう。
あのオッサンは企業スパイかなんかで、未来の技術を過去に持っていく事により、僕みたいな人間に気付いてほしかったのだ。
本来、別の人間が発明するはずだったものを過去にもってくる事によって、未来を変えようと奮闘していたのだ。
前方のクラクションカーで周囲の気を引き、その後の素足足袋に注目を寄せる。
全て計算づくだったのである。

自分で書いててアホらしくなってきたんでこの辺で。

2013/09/13

ラスト・ワーク

小学生の頃から暖めていた世にも奇妙な物語っぽい話。

タモリ「ここに一枚の写真があります(鳥が飛び立とうとする写真)。写真というのは時を切り取り、固定する。それが連続する事によって時というのは進んでいくのです(写真がパラパラ漫画のような連続体になり、飛び立つ鳥)。もし貴方がそんな時間停止に巻き込まれてしまったらどうしますか?」

ある晴れた日の昼下がり、主人公は道を歩いていた。
突如鳴り響くクラクション。
振り返ると自分に向かって車が突っ込んでくるのが分かり、一瞬のうちに諦める。
しかし、目の前で車は停止し、間一髪で助かる。
どうやら車が止まったのではなく、時が停止したようであった。

自分以外の人間は完全にフリーズし、静寂が訪れるのに戸惑う主人公。
最初は困惑していたが、時間が止まっているのをいい事に考えつく全ての行為を行う。
しかし、そんな遊びにもすぐ飽きてしまい、死のうかと考えるが、どうやら無理らしい。
なんとかして時間を進めようとそこから主人公の奮闘が始まった。

人の体を触ってみると、ある一定の方向にだけ決まった範囲動かせる事が判明。
どうやらその人達の次の行動分だけ動かせるらしい。
コレを地球全員分に施せば時間が進むのではないかと思った主人公の孤独な旅がはじまった。
歩いている人をアシストしたり、バランスを崩しそうになっている人が耐えようとしているのを元に戻したりする。
中には事故の直前で時間が止まっており、死を回避で出来ない者や飛び降り自殺直前をアシストしなければならない事もあった。
それぞれの「一瞬」を進める事に戸惑いを覚える主人公。
しかし、コレが運命だと信じてひたすらに人々を動かしていった。

何十年も経過した。
ついに全ての人間の行動を一歩づつ進める事に成功した。
そのとき、ある一筋の光が見えた。
ついにその時が来たのだ。
その光源を目指して一目散に走り出す主人公。
そこには固まったままの半透明な自分の姿があった。
しかし、目の前には自分に向かって突っ込んでる車もあり、戸惑う主人公。
でも、ここに重なればすべてが終わるのだろう。
そう確信した主人公はコレまでの事を思い出しながら、自分の陰に身体を重ね合わせる。
覚悟は出来ていた。

次の瞬間であった。
時間が再び動き出したのである。
喜びをかみしめる主人公だったが、その時間は数秒も無かった。
案の定、主人公に車が突っ込んで来てブラックアウト。
彼は死んでしまった。
そして時は何事も無かったかのように進み続けていった。

途絶え行く意識の中で彼はある事を悟った。
死にゆく人間は死の一秒前に最後の仕事を与えられる。
そう、それは世の中の時間を一秒だけ進める事であった。
死に行くものは皆、最後にこの試練をこなす事によって、時間というのは少しづつ進んでいくのである。
そうやって人間は時を刻み繁栄を繰り返して来たのであった。

タモリ「人々の犠牲のもとに時というのは刻まれていったのですねえ。私たちの何気ない日常が彼のような犠牲の上に成り立っていると考えると少々、心が痛むよーな気もします。」
カメラが引くと、半透明で静止したタモリが画面の右端に。
それに気付くとカメラ目線になり、画面に向かって微笑みかけるタモリで終了。

2013/09/12

老ラーメン

地元で一番旨いと評判だったラーメン屋が近所にある。
我が地域は都会と違ってラーメン偏差値は低く、世間で流行っているよな豚骨ベースのこってりラーメンは皆無であるが、シンプルな田舎風醤油ラーメンは低偏差値なりに幅を利かせていて、都会を凌駕する事もある。

そんなあっさりしょうゆを突き詰めており、店長がおじいさんでその奥さんのおばあさんとその娘二人(これもすでにおばあさん)で切り盛りしている伝統あるお店である。
その歴史はかなり古く、戦前から存在していたらしい。
しかもメニューはラーメン大中小の三つしか無いという自信っぷり。
でもコレが旨くて、昼前になると行列ができ、一時過ぎても食べられないという事が良くあった。

そんな評判も数年前の事までであった。
この前久しぶりにその店を訪れたのだが、おじいさんは健在なもののよぼよぼ感が凄まじい事になっており、「まだ生きてんだなー」と生存を喜びながらも少し悲しくなった。
注文を済まし、昔と変わらない位置にあるブラウン管極小テレビに釘付けになっていたのもつかの間、ついにラーメンがやってくる。

見た目はあのままで昔の記憶がよみがえる。
透き通るような醤油ベースにコレでもかと加えられた味の素。
そして素朴なチャーシューにネギともやしとめんま。
そのいかにもなラーメンのスープを味わったその瞬間であった。

味が違うのだ。

全く旨くない。
味がぶれているという表現がふさわしかった。
分量を間違えているというか、いろいろバランスがおかしな事になっており、旨さのパーツはそろっているもののそれががっちりと嵌っていない。
あんなにうまかったラーメンの劣化に悲しくなった。
まあもうよぼよぼのジジイだし、味がわからなくなるのも仕方ないかもしれない。
老化には勝てないと思うと凄い切ない。
もうあの味は出せないのだ。
おじいさんが店を去ったら全てが終わり、思い出も途切れて行く。
諸行無常。

2013/09/11

埋立地の魅力

人工的に作られた埋立地。
東京湾には商業施設やゴミ処理場などがあり、足りない大地を補うかのように日々拡張を続けている。
しかし未だ発展途上であり、成熟には到達していない。

よく都市は生き物であると表現される事がある。
人々の欲望により無秩序に発展して行く様は無機物とはもはやとらえられないのである。
特に埋立地などはその最もであるといえる。
欲望を満たすために海を狭め、土地を拡張する。
便利最適化された現代社会に置いて、新天地は未開のものではなく、自分たちの目的にあわせ、創造するのがふさわしいのかもしれない。
まさに神に近づいて来ているような気もしない事は無い。

埋立地の発展途上な様が非常に心打たれる。
海に浮かぶという自然状態でありながら人工的なものというのが堪らない。
しかしそこは完全には都市化されておらず、不完全なまま、その時を待っているのだ。
空き土地が沢山ある地帯を見た時など、ある種都会のオアシス的な悠久の美しさがある。
エモーショナル。
エモという表現が似合うのだ。

回りに高層物件は無いし、山も無い、海に囲まれたその地域は視界一杯に青空が広がる。
都会でありながら閉塞感からの脱出というのがまた堪らない。
この世で独りな気分を味わえるし、ある種の終末感が漂う。
まさに近未来化が引き起こした、偽りの安寧と言えるかもしれない。
そのうち人間が廃れていくにつれ、そのような棄てられた土地は増えていくだろう。
いまはまだ全盛に向かって増え続けているので、発展途上の美しさがある。
しかし、いつしかその成長が終了したときには崩壊と遺棄の美しさに変容するだろう。