2013/08/06

カルーアミロと麦茶ハイのポテンシャル

お酒を飲むのが好きなんですが、どうしてコレがないの?ってメニューがあります。
正直結構はやると思っているんですが、どうなんでしょうか。

「カルーアミロ」と「麦茶ハイ」です。

カルーアミロはいわずもがな、
あの伝説の飲み物「ミロ」とカルーアの奇跡のコラボレーション。
小学生の頃に味わったミロの不思議な味と、
大人なアルコールの融合でノスタルジー捗ること間違い無し。
部活後の体育館の自販機を思い出します。

ただ難点なのが、半年に一回ぐらいしか飲みたくならない事ですね。
ミロってたまに猛烈に飲みたくなるけど、一口飲んだら絶対後悔するんだよな笑
懐かしさを味わったあとにはプロテインライクな甘ったるいエセココア味が口の中に広がる。
さすがにあの甘さはこの年でなかなか辛いものがあります。
でも逆にアルコールがあればその関門を突破する可能性だってあるのです。

そして麦茶ハイ。
これは絶対はやるでしょ。
ウーロンハイが存在し、市民権を得ているのに何故コレはダメなのか?
あのコーヒーライクな香ばしさと喉カラカラ時のファーストインパクトは
アルコール抜きなのにビールと双璧をなすのどごしだと思ってます。
コレにアルコールなんて加えた日には、アーサー王にエクスカリバーですよ!
お酒弱い人中心に乾杯時のビールを駆逐する可能性を秘めていると感じます。

酒が美味しい夫が今朝(回文)

2013/08/05

胴上げ論

この世には真に選ばれた者のみが味わえる行為がある。
おそらくされた事が無い者が大多数だろう。
しかし、ほとんどの人間はその行為に加担した事があると思う。
けどされたのは稀にしかない。
大多数は悲しい発生装置として人生を全うする。
選ばれし者のみがされるあるレア行為がある。

それは「胴上げ」である。

胴上げされるということ。
勝利や達成感がマックスに達したときにその思いを爆発させるために人を多数でぶん投げる行為。
やっぱ胴上げされるのは、中心人物だったり功労者だったりする。
しかも胴上げされるのも1イベントに大体1~2人ぐらい。
自分から「胴上げしてほしい!」といって何とかなるものではなく、
集団の誰かの「こいつを胴上げだ!」との号令を元に「選ばれる」必要性があるのです。
また普段地味でその日だけ活躍してもなかなか胴上げされません。
普段から胴上げされる側の人間に居ないと難しいのです。

だから胴上げされるのはクラス三十人居たら、1人か二人なのです。
全人口の3%ぐらいしかこの選ばれし行為を味わえないのですよ。
まさにコレこそリア充の指標ですよ。 

実に味わってみたい感覚である。
おそらくかなりぶん投げられて中を舞う感覚は気持ちいいものだと思う。
しかも、全ての中心なんだぜ?
僕の哲学では、「胴上げされた事と合意のもと中出しした事がある奴は確実に人生充実している」というのがあります笑

僕?
勿論、胴上げする側に決まってんだろ!
胴上げされるなんて言う虚無的な憧れは幻想に過ぎず、小五ぐらいに「そっち側」ではないと気付いてました(哀愁)

2013/08/04

スルパス

年上のおっさんと飲む機会があった。
普段同世代としか飲んでない僕としてはなかなか新鮮なものだった。
正直大人とか結構しっかりしてると思ってたけど、
酒が入るとやっぱ正直になる。

いわゆる普通のおっさんだった。
僕らより長く生きているだけで、中身は馬鹿にする訳ではないが普通の人間。
何ら発想とか考え方が違う訳ではないのだ。
僕はコミュ障ゆえに大人のことを誤解していたかもしれない。

まあ、おっさんはその人しか居なかったのでそれが全てでは無いかもしれない。
でも、そういう凝り固まった思想ってのは良くないと感じる。
もっと美学とか自分ルールのラインからはみ出して、ナチュラルにオープンな発想でないといけないのだ。

だから色んな人と話すってことはなかなか大切な様相。

ちなみにこの文章、飲み会終わりで疲れて家でベロンベロン状態で書いているので消すかもしれない。
もしこの文章が見れた貴方はラッキーだ。
ネット上から消されるという事は証拠は残らない。
僕がシラフになるまでの時限爆弾だ。
だからラッキーなのです。

というか時限爆弾言いたいが故にこの文章書いてます笑

2013/08/02

サァマヴァケ

某観光地に行った。
あの子達はやっぱりいた。
全国の観光地、どこにでも居る彼ら。
僕は彼らを見ると凄い切なくなり、夏がくるたびに胸が締め付けられる。

家族旅行してて、親と一緒に居るのを嫌そうにしている中高生達である笑

いわゆる反抗期。
家族と一緒に居るところを見られるのさえ嫌悪感を感じる時期。
あの顔の切なさったらない。

しかも親がそういうのに無頓着な感じなのが更に切ない。
大人になれば別に気にならなくなるのだろう。
僕も最近は特に気にならなくなった。
どちらかというと逆に一緒に居た方がカッコいいという価値観も芽生えて来た。

あのイヤそうな顔を見るたびに、昔の自分を見ているようで切なくなる笑
説明できないあの複雑さ。
おそらく欧米の家族愛の強い思想には無い、日本独特の感情だろう。

まさにエモ。

この曲の1:11からの子供の頃の夏感はヤバい