アメリカの砂漠で年に一回、一週間だけ開催される素敵イベント。
何も無い砂漠にコミュニティーを作り、共同生活を行うというシンプルさ。
そこには電気や水道といったライフラインが存在せず、貨幣経済も存在しない。
人々は「give」の精神で共同体を成立させる、まさにDIY精神ココに極まりといったお祭りである。
基本的精神に「傍観者になるな」を掲げる。
参加者もアートや音楽で自分を表現したり、フェスさながらのライブステージまで自らの手で作り上げるという規模のでかさ。
最終日にはこのイベントの象徴であるTHE MANと名付けられた木で出来たでっかい人形を燃やし、キャンプファイヤーでフィニッシュ。
ホントに楽しそうなイベントである。
しかし、ヒッピー野郎やパーティー野郎がドラッグや乱痴気騒ぎを起こしているだけという批判もある(ウィキペディアより)
いいですねー。こういうお祭り。
一応調べると日本版バーニングマンみたいなフォロワーイベントはあるらしいです。
でもやっぱ本家の壮大なスケールに圧倒されたい。
あとフジロックとかがお祭り加減でいったら似ているんじゃないかな。
音楽イベントの域を超えて楽しめるフジロックという空間に意義がある的な。
まあ、参加した事無いんですけど笑
何か小学校の頃にやった学校にお泊まりする会を思い出すイベントです。
各自勝手にお菓子とか漫画とかゲームを持ちより、
いろんな楽しみがごっちゃまぜになるのが最高だった思い出。
普段話した事もない奴とも同じ屋根の下で過ごし、同じ釜の飯を食い親睦を深めた。
確か僕は隊を組んで、何故か近所の山にサバイバルに行ってた記憶がある笑
あれのワクワク感みたいのがバーニングマンには詰まっていると信じてます。
人生で一度は行ってみたいもんすねー。
世の中には賛否両論を巻き起こす作品が存在する。
しかしそういう作品は大抵、少し取っ付きづらかったり、玄人向けのようなハナから全員にウケようとはしていないものが多い。
評価する側の人間も少し後ろめたさを持っているというか、評価しない側の人間のいい分が充分に理解できるのだ。
しかし、そういう趣向ではない作品にも賛否両論が発生する事がある。
しかも、男と女ではっきりとまっぷたつに評価が割れてしまうのだ。
一方では「感動した」、他方では「全く理解が出来ない」という不思議現象が巻き起こる。
代表的な作品は「スタンドバイミー」を挙げる事が出来る。
アメリカの東野圭吾ことスティーブンキングの「the body」(直訳すると『ザ死体』というストレートさ)を原作とし、ベンEキングのあの曲でもおなじみの映画。
小学六年生の夏休み、仲間四人で死体を探しにいくというシンプルなストーリー。
一夏の大冒険という男のロマンが詰まりまくっており、
自分の少年時代を思い返し、切なくなる事間違い無しの作品である。
あのノスタルジーな空気感は大人になるとより一層、味わい深くなる。
個人的には、最後の「中学に上がったら自然と喋らなくなっていった 」というエモさが堪らない。
とココまで絶賛なのだが、コレは典型的な男性的意見である。
女性からするとこの映画のどこが面白いのか分からないらしい。
あえて評価しているとしても「男の子同士の友情に感動♪」のような、本質が全く見えてない評価しか無い。
あの「切なさ」みたいのが一切理解できないというのが興味深い結果である。
もうひとつこのような評価を持つ作品が存在する。
東洋のスティーブンキングこと東野圭吾の「秘密」である。
こちらは娘と妻が事故に遭い、娘の体に妻の魂が宿ってしまうという少し不思議、まさに藤子不二雄で言うところのSFなお話。
妻の魂が宿った娘と夫の生活を描いた「泣ける」ストーリーだと僕は思っている。
東野圭吾もそういう方向性を目指して執筆していたと信じている。
しかし女性からするとまったく感動できないらしい。
若い体を手に入れて自由気ままに過ごす妻が許せないという意見が多発した。
やはり女の敵は女なのだ。
最後の件も理解不能らしく、本を読んで初めて号泣した自分が恥ずかしくなる笑
こんな感じで男女によって着眼点の違いや、感情輸入の仕方がまったく異なる故に評価が反対になる作品が存在する。
やはり男女で脳の作りが違うんだろうか。
かなり学術的に研究する価値がある題材だと思いますね。
あと、女性は絶賛で男は一切理解できない作品というのも見てみたい。
ストレートエッジという生き方がある。
八十年代のDCハードコアシーンが発祥で、 マイナースレットやフガジを率いたイアンマッケイを中心に出来た思想である。
特徴としては、ドラッグ、アルコール、タバコ、セックス(快楽目的)の禁止が挙げられる。
徹底的な禁欲が特徴的で、声を大にした主義主張するならばまず正すのは自分からという発想だ。
現代日本のひきこもり野郎ならば簡単に達成できそうな気がする。
しかし自分を慰める行為はコレに抵触するのか疑問が残る。
アメリカでは未成年のアルコール提供に関しては敏感で、ライブハウスのような空間でも明確に制限されていた。
そんな事もあり店側は未成年の手の甲に罰印を書く事により区別していたのだが、いつしか未成年が「アルコールなんてこっちからお断りだ!」と自ら罰印を書くようになり、ストレートエッジへつながっていったと言われている。
ハードコアというジャンルは音楽性の他にも精神性が重視されており、
常にカウンターカルチャーとして政治的主張や社会的主張が付随するものであった。
けどそんな文句言ってる割には自分たちがドラッグにまみれていたらどうしようもない的なところからストレートエッジは生まれたのである。
それまでドラッグアルコールにまみれていた腐ったハードコアシーンへの反抗だったのだ。
彼らの周りにそれらで自分をダメにしていく人間が多かったそうだ。
それに関連してヴィーガン(純菜食主義)もコレに含まれる事がある。
ヴィーガンというのは動物性のものを一切食わないというフードスタイルで、
その思想の源流には動物が殺されている食肉生産体制への反抗など挙げる事が出来る。
これも反体制的なハードコア的思想だよね。
動物性食品を拒絶する事により、殺されていく動物達を守るというものである。
菜食には健康、宗教的理由の他にヴィーガンのような思想的理由によるものがあるのだ。
一見、自己満足の様にしか見えないが自分を律するという所にも意味合いがあるのだろう。
自分の求める世の中は絶対達成できないけど、主張する人が居なくなったら終わりなのだ。
どちらかというとイアンマッケイは音楽を通した活動家と言った方がいいかもしれない。
ある種、宗教的な価値をもつ思想だったとも言える。
DIY精神に溢れ、自分たちの居場所は自分たちで作ろうとした。
もちろんそこに商業的要素は無く、活動を継続するための最低限の金銭しか求めないという特徴もある。
という自分用メモ。
最近、東京が舞台のアニメや漫画やゲームを探しまわっている。
あのメトロポリス感がクセになるのだ。
虚構の中の現実感というのがグッとくる。
少し近未来化されたいかにもな未来都市も堪らないし、崩壊した未来の都市も堪らない。
あと未来化されたのに全然変わってない下町も最高。
テクノロジーとノスタルジーが共存してると心を鷲掴まれる。
ああいう日本的センスはやっぱ日本人だから未来に最適だと思っちゃうのかも。
未来もいいけど、現代の東京が舞台なのもいい。
個人的にツボなのが、コナンとかデジモンとかの夏休み映画で出て来たあの真夏の都会感が好き。
夏休みに映画館の大スクリーンで見た思い出があるからかもしれない。
サマーウォーズとかもあれは田舎だけどなかなかいいとこ付いてくる。
フィクションなのに見覚えがある光景ってのが好きなのだろう。
知ってる気がするけどそんなものは存在しないっていう切なさ。
外人とかもこういう感覚あるのだろうか。
近未来東京が舞台のオープンワールドゲーを出してほしい。