2016/10/25

藤子不二雄はemo(AもFも)

この頃めっきり更新しなくなってしまったのでたまには適当に書く。
更新頻度が落ちてからその分内容重視というか意味のある記事を心がけていた。
いわゆるライフハック的なものからそこそこ世間に需要のありそうな俗に言う「当てに行った」記事ばかり。

昔のブログを読み返しているとほぼ毎日狂ったように暇をつぶすために更新しまくっていて、そっちの時代も懐かしいとしみじみ思うようになった。
あの頃はとにかく隙間を埋める感覚というか、自分の中にある特有の発想や感情でまだインターネット上で共有されていなかったり言及されていないものをとにかく書いていた気がする。
まあその手の発想というのは現実世界で友達に投げかけてみてもなかなか共感を得づらいものであって、インターネット上でも同様にアクセス数的にはほぼゼロに近い。(どっかのバズった記事きっかけで他の記事も取り敢えず巡ってみた暇人ぐらいしかみてないでしょう)

そんな高尚な発想を書いているわけでもないけどなんだかんだでどっか引っかかってほしい気持ちがあってブログを書き始めたのを思い出した。
要するに友達がほしいのである笑

今回はその手のことについて書くつもり。

小学生の頃本屋で偶然立ち読みした忍者ハットリくんのある話。
確かその会のタイトルは「我が家についにテレビがやってきたぞ!の巻」みたいな感じで、ハットリくんが穀潰っている家庭にテレビがついにやってくるという時代性の感じるお話だった。
テレビがやってきて一喜一憂する姿になぜか小学生の僕は涙が出そうになった笑

今でこそ当たり前のテクノロジーだけど連載当初は最新のものとして扱われるテレビ。
それを恐怖と畏敬の念を持ちながら接していく昭和の人々。
家族たちはテレビを買ってきた父親に対して「ついに動いた!」的なリアクション。
典型的高度経済成長期の中流家庭のあの姿を見事にギャグ漫画に落とし込んだのである。

なんかすげー泣けるんだよね笑
三丁目の夕日的なノスタルジー的感動とかは自分は全く持ち合わせてなくて、そういう角度のエモーショナルではない。
あくまでも「ハットリくんの家にテレビがやってくる」って事実がなんか涙をそそるの。
藤子不二雄節がそうさせてしまったのでしょうか。
誰にも共有できないけど、自分の中でのなんか切なさみたいのがハットリくんのあの話には詰まっている。

もう一個藤子不二雄関連エモーショナル。
ドラえもんのなんかの話で、のび太が金欠からストーリーが始まるんだよね。
んでお小遣いをどうしても稼ぎたいから、三時のおやつに出てきたどら焼きかなんかを母親に対して「僕はこれを食べないからどら焼き代75円を頂戴」みたいなゴネる話。

親の金で買ってきたお菓子を自分が食わないからという理由だけで菓子代請求をするのび太の姿。しかも真顔で。
んで、意外にものび太ママも「あら、そう」みたいなリアクションで普通に菓子代渡しやがるの。
そっから普通にいつものストーリーが始まっていくんだけど、僕はそこがめちゃくちゃ引っかかった。

なんか悲しい。
親の立場でドラえもんを読むと子供の真顔なクズさに涙が出そうになってしまうんですね笑
子供が喜ぶと思って自分の金使って菓子買ってきたのに、「俺いらないからその分の菓子代頂戴」って不条理。
んでそれに疑問も持たずに素直にそういうものとして応じちゃうドラえもんワールドの住人。
読んでて、「野比家って貧乏じゃなかったっけ?」みたいな余計な心配もしちゃうともうダメですね。
そのことが心に引っかかりすぎて切ない感情になってしまうのです。

そういえばこれに似た現実世界の現象を思い出した。
「今日学食で飯食うから弁当いらんわ。あと500円頂戴」ってやつ笑
親視点からするとマジでぶん殴りたくなりますね。