個人的に新世代のミステリ作家で最も期待している七河迦南 。
「七つの海を照らす星」で鮎哲賞を受賞後、その続編である「アルバトロスは羽ばたかない」でこのミスが凄いにランクイン。
それに続いた3作目がこの「空耳の森」。
全九編からなる短編集でそれぞれ作者の趣向をこらした満足度の高い作品である。
特に最後のエピソードはこれまでの短編が一つの物語としてつなぎ合わされ圧巻の一言。
それだけでなく前二作も巻き込んだ壮大な「七海学園サーガ」として成り立つのが凄い。
実質、これも続編だった訳なんですね。
この人、前の作品を完全にフリにして物語を作るから読み続けてる人としては堪らない。
アルバトロスでああなっちゃったけど、今回の作品で復活したという事でいいんでしょうか。
アルバトロスを読み終わった時は、「作者は登場人物に思い入れなんてなくて、純粋に駒として扱う何てミステリ野郎の非常さを持ち合わせた奴だ!」と思ったもんです。
でも今作でまた前二作が絡んで来た時はもう思い入れがあるのかないのか分からない笑
それぞれの詳細なネタバレはもっと詳しいサイトに任せて、感想だけ。
というかお話を構造的に分解してそれを説明する力もない。
読み終わっても気付けてない部分が多くて、解説サイトで初めて気付かされたときは自分の読解力の低さに泣きたくなりますね。
いっこいっこのお話も読者をいかに驚かせてやろうかという作者の趣向が全開で好きですね。
一行で世界が反転する様は見事。
やっぱミステリってあのネタバラしのハッとさせられる瞬間の為にあると思います。
しかもそれだけでなくそのバラバラな物語が最後にひとつになる様も気持ちがいい。
こういう作品って大好き。
あとこの作者が好きな理由としては、お話自体の「国語の教科書に乗ってる」感が堪んないんですよね。
ほんのりと考えさせられるようなエモせつなさ見たいのが内包されていてたまらない。
しかもそんな話なのにどんでん返しされるなんてツボを付きまくりで最高。
自分の理想とする「ミステリとして面白い」と「お話として面白い」の二つを両立させたいい作品だと思います。
今後の作品に期待したいです。
日本の激情シーンを代表する二組によるスプリット。
リリースはアガるスプリット企画でおなじみ、デイメアレコーディングス。
先攻はヘブンから。
M-1 黒い閃光
しょっぱなはアンビエントな雰囲気漂うインスト曲。
絡み合う三本のギターの音色が奇麗。
キーボードっぽい音も入っていて壮大というか、真っ暗な部屋で一人で聴くと没入感が最高です。
途中から爆発する展開もあり、轟音のように流れ落ちるギターの旋律が美しい。
インストなんだけど、ボーカルありでもいける感じの曲だと思う。
M-2 繭
コチラもインスト曲でM-3への導入的な感じ。
鍵盤の音色がいい。
爆発前の静けさや張りつめた雰囲気がビンビンに醸し出されています。
M-3 終焉の眩しさ
前の曲から間髪居れずにいきなりフルスロットル!
久しぶりに脳汁出た。
バスドラのドコドコ感が堪らない。
というかドラムが凄過ぎて…
あと爆走するトレモロリフの暗黒感が最高です。
音に浸るってこういう事だと実感できる。
動パートと静パートの間延びしてない感じがいいですね、だれる事無くテンションの高いまま最後まで突っ走ってくれる。
特に中盤のアガるパート(三分半ぐらいから)はせこい。
あんな展開やられたら誰だって脳汁でちゃうよ。
ギターのメロディもいかにもな哀愁メロディが最高。
ベースもゴリゴリに動き回ってますね。
最高傑作と言っても過言ではない。
というか自分の求めているものにドンピシャ過ぎて気持ちがいい。
後攻はcohol。
M-4 不毛の地
ブラストやバスドラ全開でメタル要素ゴリゴリな曲。
coholはあんまり聴いた事が無かったのでちゃんと聴くのは初めて。
メタルはそこまで好きじゃないんだけどこのバンドは聴けちゃいますね。
日本のバンド特有の潜在的な和の要素といかアツさみたいのが感じ取れます。
あとバスドラ疲れないのかが心配笑
M-5 木霊
箸休め的なインスト曲。
こういう曲ってどうやって発想を形にするんだろうか。
壮大感みたのが堪りません。
M-6 疎外
ド頭からギターが最高。
マジでギターもドラムも途中で疲れないんだろうかと心配になってくる爆走加減笑
純粋にいい曲です。
あと当たり前だけどウマ過ぎ。
両者とも素晴らしい楽曲でした。
正直このスプリットは六千円ぐらいで出していい気がする。
そのぐらいの価値はありますよ。
特にヘブンは更に進化してます。
終焉の眩しさ一曲だけでこのcdを買う価値はあるといっても過言ではない。
早くライブで見たい。
子供の頃、車に手首を轢かれた。
しかし無傷だったのが今でも謎である。
確か家の道路で一人でサッカーをしていた時の事だった。
孤独にドリブルにいそしむ僕の前に一台の車が現れた。
それは隣の家の人の車で駐車しようとゆっくりと侵入して来たのだ。
サッカーのトレーニングを瞬時にやめ、車の邪魔にならないように待機する。
我ながら出来た子供である笑
しかし、何かの弾みにボールが車の方にこぼれてしまったのを覚えている。
ちょうどボールが車の後輪に轢かれそうな感じなった。
「ボールが破裂する!」
車の心配よりもボールの心配をするところが子供である。
気付いたら自然に身体が反応していた。
ゆっくりと接近する車の後輪の前方に緩やかに転がっていくボールを弾こうと、右手が出た。
その瞬間であった。
ちょうど後輪がボールに乗り上げてしまったのだ。
そしてその隙間に何故か入る僕の右手笑
下から、地面→ボール→右手→後輪と行った具合に見事に挟み込まれてしまった。
その重さはセダンなので約一トン、後輪分なので四分の一の250キロが右手に掛かったのだ。
激痛が走るが、なかなか車はどけない。
十秒ぐらいした後、やっと車が乗り過ぎていった。
解放された僕は涙目になりながらボールを回収し、ダッシュで家の中に逃走を図る。
しかし、不思議と痛みも怪我も無く、無傷に生還したのである。
恐らく、下のボールがクッションとなりその重さを軽減してくれたのだろう。
しかし当時の僕としては「車に押しつぶされても怪我をしない鋼鉄の肉体を持つ男」と思い込んでしまったのである。
鋼マンとして友人達にふいて回ったのはいうまでもない。
この前も書いたが、最近大学猫にド嵌りしている。
暇さえあれば、大学に出向いてまたたび片手に猫と戯れる。
趣味も楽しみも無い僕としてはコレだけで楽しい。
小学生レベルの楽しみなのだが、なかなか抜け出せない。
最近では隠れる事無く堂々とベンチに座り、タバコを吸いながら自分の回りにまたたびを一振りすると、匂いにつられわさわさと猫達が集まってくる。
「別に猫に興味は無いけど、動物を寄せ付けちゃう体質の人」感を道行く人々にアピールできるのが溜まらない笑
実際はまたたびの力なのだが、道行く人々には愛され体質の素敵人間に映っていることだろう。
というか集まり過ぎて猫の中に人間が居るという図に見えると思う。
とりあえず猫に夜中会いにいくために体内時計がおかしな事になっているので直したい。
日常生活に支障を来し過ぎな趣味である。
人間と猫は違う種族だから、猫はそこらへんを分かってくれない。
我々には日常生活があるのだ。
猫はあほみたいな生活が出来て羨ましい。
だからそんな逃避のために人間達は猫達を愛でて、飼い始めたのかもしれない。
愛玩や鼠退治などの意味合いもあるかもしれないが、その根本には脱力で自由な生活をそこに夢見ていたのだろう。
自分にできない事を猫に託す。
ムスコにプロ野球選手を目指させるオヤジみたいな思想がそこには詰まっているのだ。