オタク=キモいというパブリックイメージはどうしてあるんでしょうか。 最近ではアニメやアイドルなどのカルチャーやそれに携わる人々がテレビなどでフィーチャーされ、段々と市民権を得てきた印象はありますが、 やっぱり、それらの趣味のファンは一般社会的にははずれ者というか気持ち悪い印象が抜けません。 まだまだ、「オタクキモい」などという露骨な嫌悪感を世間からは持たれており、一向にスポーツなどの「かっこいいもの」というイメージが浸透する気配がありません。 もちろん、「オタク=かっこいい」というイメージも少なからずありますが、そんなもん一部なもので、ライトオタなんてのは、オタクの本拠地であるネット界隈でも忌み嫌われる存在でございます。 まず、僕がここであげるオタクとはどういうものか説明しましょう。 いわゆるステレオタイプなもので、アニメなど、ネットでも市民権を比較的得てる趣味のオタクであると想定してください。 オーディオオタクみたいのはまた別であると考えましょう。 人間としてキモい オタク批判に良くあるフレーズですね。 アニメやアイドルなど、一般層(特に高齢者など顕著)からは子供の見るものというイメージからか、成長がない、大人ではないとして、人間性を否定されがちになるのです。 それに対するオタク側の反論としては、「一部しか捉えてない」や「ちゃんとアニメを見れば良さがわかるよ」などという、作品としてのアート性や本質を捉えてないから、そんなこと言えるんだというものです。 根本的に何故、アニメやアイドルに熱中する様は気持ち悪いのでしょうか? まず、アニメについてですが、これは、「アニメとは本来、子供が見るために作られたものである」という前提があります。 歴史的にもアニメは児童向けな作品が元祖として多いですし、そもそも漫画からの派生ですから、そのイメージが強いのです。 現在でこそ、「子供の皮を被った大人向け」や「そもそも子供をターゲットにしてない」と言われるような作品も多数ありますが、我々が最初にアニメに触れるのは基本的に幼少期であることは間違いないでしょう。 ディズニーであったり、アンパンマンやポケットモンスター、これらの子供向けのアニメが未だに子供たちの心を掴んで離さないのは、アニメの絵というのは根本的に子供が好むものなのです。 現に、幼児期の子供たちをおとなしくさせるために活用されるのはアニメーションが多く、間違っても海外ドラマを見せてる家庭は少数でしょう。 このように、アニメという媒体は「子供の頃に出会い、ハマるもの」という前提は否定できないと思います。 現に僕だって子供の頃はアニメを見まくってましたし、アニメオタクにネガティブイメーズを持つ人々も同じようにアニメ鑑賞をしまくっていたことでしょう。 ヤクザだって政治家だってオシャレ人間だって、子供の頃にアニメに触れてないからああなったわけではないんです。 そして我々人類は中学生あたりになると反抗期を迎えます。 親の存在がうっとおしくなったり、自立のサインであり、人間としては普通の行動なのです。 反抗期とは「大人への憧れ」であり、自立心が強くなったり、大人たちの世界や趣味に異常に憧れを持ち、それを模倣したくなります。 段々と家庭の中で育ってきた自分を否定し、家庭の外にアイデンティティや楽しさを求めるようになるのです。 ということは、反抗期とはそれまでの「子供だった自分」を否定するという意味合いがあります。 その中には、子供の頃、好きだったものを否定するという要素があります。 子供の頃に好きだったものといえばなんでしょうか? そう、大体の子供はアニメ鑑賞の経験があります。 通常の反抗期を迎えると「アニメ鑑賞」や「コロコロを読んでた自分」などが急激に恥ずかしくなり、そういう子供時代にハマった文化を否定し始めるのです。 そして、大半の人間は「小説」や「音楽」など、所謂、大人たちが中心となって楽しんでいく娯楽に憧れを持ち始め、大人の階段を登り、成長を果たしていくのです。 となると、アニメオタクのキモさには、この反抗期という「子供時代の否定」を持たずに成長してしまったという要素があるのではないでしょうか?
また、オタクのキモさとして見た目の悪さがあります。 顔が気持ち悪いだとか、清潔感がないだろうとか、服装がダサすぎるなど、見た目に対して批判の槍玉に挙げられやすいです。 僕個人としても、クラスメートだったオタク君はメチャクチャダサかった印象があります。 母親がイオンで買ってきたようなサイズ合っていないダサい服に、靴は決められたようにダンロップかスポルディング。 ダサいのがオタク化するのか、はたまた、オタク化するからダサいのか色々と疑問が巻き起こります。 まず、オシャレ心についてですが、これも反抗期と大いに関係があります。 前述したように、反抗期とは「子供であった自己の否定」というテーマがあります。 色気付いたり、周りの目を気にし、ファッションに目覚めるというのは、これにまさに当てはまります。 反抗期とはまず、「母親の買ってくる服」に対する否定から始まるのです。 なんも疑いもなく着ていたはずの服装が急激に恥ずかしく感じ、先輩や大人の人たちが着ているものと明確な違いを感じ出します。 そこで、反抗期にまず母親の買ってくるものは捨て去り、全て、自分の意思で買った服やものこそ正しいという価値観にガッとシフトしていくのです。 中には、「オシャレな母親だったらどーなのよ?」という意見を持つ方もいると思いますが、実際は、服自体がダサいのではなく、「母親が買ってくるから」ダサいのです。 まあ、世の母親は子供の服に対してそんなに情熱を持ちませんし、買ってくる服も「子供服」という括りの中のものでしょう。 ということはオシャレの本質は「如何に母親のセンスと対極にあれるか」という事が言えるのです。 一般社会的にトレンドであったり、オシャレな人というのは全員、母親の買ってくる服的要素を取り払ったから、そう存在しているのです。 若者文化というのは大人の否定とも取れるので十分に当てはまるでしょう。(子供≠若者に注意) 本筋に話を戻しましょう。 オタクの服装がダサいのは、このような反抗期を迎えなかったからではないのでしょうか? 前述したように、オタクは反抗期においてアニメを否定しません。 それは大人への通過儀礼である反抗期が不完全に終わった事を意味します。 という事は、「母親の買ってきた服」否定も十分に行われなかった可能性が高いのです。 いわば、反抗期が十分に作用されなかったため、子供時代のカルチャーに何も疑問を抱かず、そのまま、大人になってしまった人々がオタクと呼ばれ、世間からは、「大人ではない=ゆえにダサい」というイメージを持たれるに至るのではないでしょうか。 また、清潔感のなさや髪型のダサさなども、子供時代の延長のつもりで生きてるからだと思います。 我々人間は長く生きていく限りどんどん劣化していきます。 お肌だってすぐ汚くなるし、髪の毛だってへたってきます。 美意識というわけではないですが、体に関するメンテナンスをしていかないと、すぐに気持ち悪い印象になってしまいます。 どんだけ食べても太らなかった、子供の頃と違い、食っちゃ寝してたらすぐに太ったりする。 子供の頃はそんな事も見た目についても一切考えてなかったと思います。 色気付くというのは、「何も見た目について考えてなかった」という子供時代の否定である事にはまちがいないでしょう。 だから、通過儀礼を満足に行えなかったオタクたちは、「見た目について考える」や「自分の体はメンテナンスしないとすぐ汚くなる」という事実に気付けていないのでしょう。 また、そういうファッションや見た目に関しては、学校の授業では教えてくれないし、いろいろなジャンルがあるように正解などありません。 思春期にそれについて無関心であると、それを嗅ぎ取るアンテナや価値観が形成されず、非常に困難な事となります。 基本、ファッションセンスに関しては、ファッションに目覚めてからも、数回、否定の段階を繰り返して、能力を上げていくことが多いです。 「まず、子供服を否定→先輩や周りからアイディアを取り入れ、自分なりの服装、スタイルへ→やっぱダサい→次はコレ→みんなやってるから、再度否定→次のステージへ」という二段、三段のどんでん返しプロセスを経なければならず、反抗期はその最初でしかありません。 ファッションにおける自己のセンスの否定は、若ければ若いほど、その傷が浅くなります。 大人になってから、ファッションに急遽目覚めても、知識として「それまでの子供ファッションに近かった自分を否定する」というものしかありませんから、変な服に手を出してしまって、バカにされ、やっぱわかんねーよってことになりがちです。
そこでつまづいてしまうと、振り出しに戻るといった感じで、自分の初期アイテムである母親服を参考にしたものしか、手に出せなくなるのです。
また、周囲に参考にするものがないというのもあるでしょう。 音楽やスポーツに取り組むと、必然的にその要素から派生したファッション性というのを感じ取れると思います。 「自分の憧れる大人があれを着ているから、僕もこれを着よう」などの模倣からファッションは始まります。 しかし、アニメオタクの場合、参考にするものはアニメや周囲のオタク仲間しかいません。 そんなんを参考にしても、世間一般的なオシャレとは言えないのです。 だって、アニメ作品に出てくるやつらの服装は、制作側もファッション性を重視してないからかダサいですし、第一、三次元に投影しても異質ですからね。 コスプレという文化がある以上、日常のファッション性とは切り離されるものであるというのは明確でしょう。 だから、そういう身近に参考にする存在がいないからこそ、頑張ろうとしてもダサダサ人間が生まれがちになってしまうのです。 そして、そのような一眼で目につくようなダサさが、キモいという事実につながっていきます。 勿論、アニメオタクの中にも反抗期というプロセスを十分に消化し、さらにアニメにはまる人々というのも存在します。 創作する側にそのような人々は多いですね。 彼らの特徴としては、「子供時代の否定」である反抗期に直面した時、その象徴であるアニメ自体を否定するのではなく、「アニメへの関わり方」を否定するのです。 子供の頃のアニメ視聴スタイルは、画面に垂れ流しされる情報をそのまま受け取り、キャッキャとお気に入りのシーンを何も考えずに楽しむというものがあります。 しかし、その関わり方を否定し、アニメにおける文学性や携わる裏方などを中心とした見方にシフトチェンジするのです。 そのアニメへの関わり方は進化とも成長とも、取れますし、「アニメずっと好きだけど、ダサ坊じゃないよ。ああいうやつらと一緒にすんな」という方は、これに当てはまるんじゃないでしょうか。 そういう方は、カルチャーとしてのアニメを探求することとなりますし、必然的に音楽や文芸など他ジャンルへの関わっていくこととなり、キモくない人も多いです。 とは言っても、そう先端化していくと、ほかのカルチャーに対して興味が持てず、ある意味、世間一般からの価値観とはずれてしまい、ダサいとかキモいとか言われがちになります。 それがいいことなのか悪いことなのかはまた別の問題であります。 また、オタク中心とされるネットではよく、「中二病」という言葉が誤用されているという意見があります。 まず、中二病という概念は、伊集院光がラジオのコーナーで募集した「中学二年生の時期にとってしまいがちな行動」あるあるというのが正しく、明確な基準はありません。 いわゆる思春期、反抗期行動あるあるとして、なんとなくのまとまり方を持っています。 その中では「ブラックコーヒーを無理して飲みだす」や「洋楽を聴きだし、邦楽を否定し始める」などのネタが多くの視聴者の心に刺さり、全人類が経験しているあるあるなので使いがってもよく、ネットでもその概念が派生されていくのです。 僕がラジオ音源を聴いた限りでは、根底にあるネタの共通性というのは、「背伸びして大人に憧れた行動をとるけど、まだ子供が無理してやってるので滑稽」という、反抗期ホヤホヤの時期を大人になった今、嘲笑うものでした。 今思うと恥ずかしいけど、大人になったから自然なんだよという意味合いが中心となっています。 しかし、ネットで広まった中二病という概念はこれとは少しズレがありました。 代表的なのが、「邪気眼コピペ」と呼ばれるものであり、その詳細はもうみんな知ってると思うので言及しませんが、 その本質は「周囲が大人になり始めている時期なのに、自分だけ子供時代の延長のような行動をとってしまい、そのギャップを自嘲する」というものでした。 ネットで使われる中二病はほとんどがこの意味合いであると僕は考えています。 前者の中二病はいずれも、「大人になろうと頑張ってるけど、その背伸び感が面白い」であり、 後者の中二病は「相対的に周囲と比べ、子供っぽい行動をとってしまいそれが滑稽で面白い」という点が二つの違いであります。 誤用とまでは言いませんが、中二病という言葉には全く異なる観点からの二点が内包されています。 いずれも共通性があるのは中二時期のあるあるというだけで、前者後者で本質は全く違うのです。 オタクの多いネット界隈で中二の誤用が始まったのは、オタク自身が反抗期を充分に終えてなかったり、その反抗時期が遅かったのではないかという考察にたどり着くことができます。 とりあえず、反抗期の消化不良がオタク 化に至り、子供を捨てきれてない故にキモいというイメージにつながるのではないかという自分なりの考察でした。
VIDEO
今年のセリーグ
一位 ヤクルト
二位 巨人
三位 阪神
対してパリーグ
一位 ソフトバンク
二位 日ハム
三位 ロッテ
通常のクライマックスシリーズだと、各リーグ二位vs三位(二位チームにアドバンテージ1勝)で、二勝先取のファーストシリーズ。
そして、その勝者vs一位(これも一位チームにアドバンテージ1勝)で、四勝先取のファイナルシリーズを行う。
そこで各リーグ勝ち残ったもの同士がまっさらな条件で四勝先取の日本選手権を行うことになるのだ。
このクライマックスシリーズは各リーグの上位3チームまで出場でき、三位のチームが日本一も果たせてしまい、ペナントシーズンの意味合いが薄れるという点からかなり批判も多い。
しかし、逆にペナントでは振るわなかったチームが、クライマックスシリーズで劇的な快進撃を収め、日本一を果たす、という下克上的な楽しみ方も可能となり、一長一短であるあることは間違いない。
個人的にはクライマックスシリーズ自体は熱いドラマが観れるという点で存続して欲しいと思っているが、もっとドラマチックなものに改変できる可能性があると睨んでいる。
こっからはその妄想を綴ることとする。
まず、各リーグ上位二チームは日本選手権を目指す正当な権利を持つというのがこの発想の基本であることを抑えておいて欲しい。
各リーグ三位のチームは興行を盛り上げるためのおまけ要素、すなわち、かすかな一発逆転を夢見れるジョーカー的な存在である。
ファーストステージというかプレ・クライマックスシリーズとして、各リーグ三位同士のチームがいきなりリーグの垣根を越えて一発勝負で激突するのである。
つまり、今年でいうところの阪神とロッテが一日決戦でぶち当たるのだ。
そこで負けてしまったチームは即、クライマックスシリーズ終了とし、日本選手権への夢は潰えてしまう。
しかし、勝利チームはそのままクライマックスシリーズに参戦できるのだが、そのトーナメント編入としては、負けたチームのトーナメントに収まることとなる。
つまり、ロッテvs阪神で見事、阪神が勝利を収めた場合、阪神はそのままパリーグトーナメントに進出し、パリーグ二位の日ハムと戦うこととなるのだ。
かなり変則的だが、こっちの方が裏トーナメント感も出て楽しいと思う。
パリーグトーナメント編入を果たした阪神は、そのまま日ハムと二勝先取のファーストステージを戦うこととなる。
勿論、日ハムはアドバンテージ一勝を持つことには変わりなく、阪神はかなり追い込まれた短期決戦に続けて挑むこととなるのだ。
そして、セリーグの方であるが、逆にそのまま敗退したロッテはトーナメント編入することなく、上位二チームのヤクルトと巨人で日本選手権をかけてシンプルに戦うこととなるのだ。
勿論、ペナント首位ヤクルトにはアドバンテージ一勝与えられることには変わりない。
ここまで変則的であると、三位プレーオフで敗退した側の上位チームからは無駄に試合数が増え、批判も出ることであろう。(特に二位の日ハム)
ただ、興行的には盛り上がるという側面を理解して欲しいし、何と言っても三位プレーオフの敗退は「敗退したチームのいるリーグ全体の責任」という認識をして欲しいのである。
個人的に上位三チーム限定でワンデープレーオフという要素をクライマックスシリーズに入れたかったため、こうなるしか方法はないのである。
もし、四位チームも出ることができてしまったら、それは流石にプレーオフ制度としては欠陥であろう。
そんな変則的なトーナメントにおいて、阪神はパリーグ二位の日ハムを撃破し、ついに、パリーグ一位のソフトバンクと日本選手権をかけて争うこととなる。
勿論、ソフトバンクにアドバンテージ一勝が与えられ、四勝先取の決戦が行われる。
ここは従来のクライマックスシリーズと変わりないのだが、やっぱり、ここまで敵陣で勝ち進んできた阪神にさらに敵陣感を出すためにも、すべての試合をパリーグ側ホームで行って欲しいという希望がある。
興行的に少し難しいものがあるかもしれないが、阪神は三位ワンデープレーオフで勝利して以来、甲子園の土を踏むことなく常に試合を行わなければならないという点にグッとくるだろう。
野球にホームビジター理論が通用するかはわからないが、ある程度の負荷となることは間違いない。
また、三位同士対決の場は、勝率有利チームの地で行うとも決めれるし、交流戦の結果やオールスターの結果で変動するようにすればいいだろう。
「リーグ全体決戦」という側面を押し出すためにも、リーグ全体成果である交流戦の結果が妥当かもしれない。
こうして、阪神vsソフトバンクの決勝戦はすべて福岡で行われ、四勝先取したものがついに日本選手権出場となり、セリーグチームと戦うこととなる。
なので、いつも通りソフトバンクが勝てば、ソフトバンクvsセリーグトップチームが戦うこととなり、リーグ代表同士の威信をかけた決戦となりえるのだ。
しかし、阪神が勝ってしまった場合、阪神vsヤクルトor巨人と日本選手権なのにセリーグ同士の対決となってしまい、やや興ざめすることもあるかもしれない。
しかし、阪神視点から考えると、彼らはそれまでのパリーグ上位三チームをすべて撃破してきているのだ。
つまり、それだけの成果を持って日本選手権の地に立っていると考えると、妥当であるとも考えることができる。
全部ビジターで連戦し、試合数もダントツで多いというある種のハンデから考慮して、そこは是非納得して欲しいところである。
というか、そうなった場合、パリーグの不甲斐なさを責めるべきであるのだ。
そうすることによって、「リーグ全体で強くなる」という意識がさらに高まることとなるだろう。
仮にパリーグトーナメントは阪神が優勝、セリーグトーナメントはヤクルトが優勝したことにすると、日本選手権はそのまま従来通り、7戦4勝先取で行うこととする。
しかし、球場仕様の割合はヤクルト4試合、阪神3試合という比率にする。
あくまでも、ペナントレース一位通過のチームが有利となる点では変わりないのだ。
まあ、かなり変則的で一方のリーグから不満が噴出しそうな気はするが、ドラマチックにクライマックスシリーズを行うと考えると、この手のアイディアに終始してしまうだろう。
何より、三位チーム、つまり今回で仮定した阪神からすると、茨の道であるが、最高に盛り上がる主人公感がたまらない。
VIDEO
録画HDDを見ればその人のテレビ的趣向が明らかになるとは言ったもので、いわば自分の分身なワケです。
その人の教養や笑いの感覚のキモになっていたり、間接的に人格形成をもたらすことは間違いないでしょう。
日曜日
①ワイドナショー・ワイドナB面
ダウンタウン松本と東野のワイドショー的番組。
放送室亡き後、松本の社会に対する意見とかを直接的に知る機会がなくなっていたので、この手の番組は嬉しい。
②ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
ダウンタウン・ココリコ・ほかでおなじみ。
まあ当たり外れあったり惰性なところもありますが、松本が企画に入っているということで、こういうお笑い芸人が主体となって企画する番組は結構注目してしまいます。
ほかには千原ジュニアの「ざっくりハイタッチ」、もう終わりましたけど、さまぁ〜ず大竹の「○○さまぁ〜ず」(TBS・あと日テレのやつも精神的後継番組?)などが存在します。
月曜日
該当なし
いいとも最終回とグランドフィナーレが保護録画されてるだけです。
あとなぜか「目撃者」と「推定無罪」という映画も笑
一生見ることないでしょう。
火曜日
①有田チルドレン
今一番勢いのあるバラエティ番組といっても過言ではない有田チルドレン。
無名芸人をオーディション形式で発掘する形式となっています。
審査員側には有田・ケンコバ・麒麟川島をはじめ、どう転んでもフォローの利く、安定のメンツをチョイス。
そして、専属スカウトマンとしてこの番組の6割ぐらいを担ってるんじゃないかと思うバイきんぐ小峠を配置。
何と言っても、オーディション芸人たちには念密な台本というか劇団的な流れが存在し、それを感じさせない自然な作り込みでしょう。
その中でしっかりと笑いがとれることももちろん、それを飛び越えた有田や審査員、小峠たちの地肩のあるやりとりが面白さを最高に引き上げています。
オーディション芸人がウケたらそのままでOK、仮に滑っても小峠に責任を追及する路線がとれるため、どっちに転んでも一定のクオリティが保てるのが素晴らしい作りです。
②ロンドンハーツ
惰性枠ですね。
去年あたりの緊急生放送の大失敗から完全に歯車がおかしくなっている印象があります。
まあ、企画のネタ詰まり感以外に、準レギュラーたちのお馴染みのやりとりに飽きが来てる感じもあります。
この番組の楽しみはもう終焉を看取るだけです。
③ホテルコンシェルジュ
なぜ録画されているのか不明笑
おそらく、前枠の「マザーゲーム」を連ドラ視聴していた流れでそのまま録画されているのでしょう。
水曜日
①水曜日のダウンタウン
先日、やらせ謝罪からのギャラクシー賞受賞という大逆転撃を見せた悪意満載の番組。
TBSが誇る伝説のテレビっ子垂涎バラエティ「クイズ☆タレント名鑑」の藤井健太郎×ダウンタウンという番組発表時は個人的に衝撃を受けたバラエティです。
芸人がプレゼンターになり、世の中のありとあらゆる説を検証するというテイですが、実質フリージャンルで色んな方向性に取り組むことができるので、「悪のナイトスクープ」といったところでしょうか。
とにかく、「悪意」というのがこの番組のストロングポイントであり、そのさじ加減が絶妙。
センスないとこんな番組作れません。
最近は、休止ぎみですが、その分ネタの溜まりも多くなるので、クオリティ向上につながっていると思います。
木曜日
①とんねるずのみなさんのおかげでした
惰性枠。
まあラジオ的な週一とんねるずに会える場所なので見続けてます。
収録からオンエアのスパンも短いので、時事ネタに対応してるとこが楽しいです。
②クレイジージャーニー
海外アングラ地帯や地球の極地を冒険する冒険家に密着する番組。
松本・設楽・小池栄子というメンツなので、アングラ系旅に密着しても社会派になりすぎないのがいいですね。
個人的にこういう番組がちゃんと民放で放送されるのは嬉しい限りです。
勿論、タレント名鑑軍団の残党がこの番組も担当しており、「悪意」などの精神的要素はある程度受け継がれていると思います。
③アメトーーク
こちらもロンハーと同じく、ネタ詰まり感が半端じゃないです。
加地Pどうした?
というか番組寿命的に末期突入してるんでしょうか。
あと最終回は「アメトーーク芸人」やって、くくりトークにおける暗黙のルールとか手の内バラすメタ的な企画を期待します。
金曜日
①爆笑ファクトリーハウス 笑けずり
NHKBSで始まった若手芸人のリアリティーショー。
ペンションで合宿し、毎回一組づつ脱落していくといういかにもな構成。
この番組の魅力は参加芸人など色々あるんですが、何と言っても現役の漫才師たちによるマジのネタ講師や批評。
笑いのテクニックや批評的解説を現役の芸人から訊けるってのは滅多にありません。
感性ではなく、演芸としての漫才ロジックが講義される様子は非常に感心してしまいます。
この番組を見てからネタを見ると色々見方が変わって楽しいかもしれません。
土曜日
①おぎやはぎの愛車遍歴
おぎやはぎ×車
おぎやはぎ好きだし、車も知れて一石二鳥ですね。
でも、おぎやはぎや芸能人だけ好きな人や車だけ好きな人からはあんまりかもね。
②めちゃイケ
完全に惰性。
年一本アタリがあればいいレベル。
もうゴールデンの制約の中でいかに狡く笑いが取れているかという観点でしか見てません。
ある種、コンテンツで稼ぐとどんだけ延命できるのかという実験番組でしょう笑
③THIS WEEK in the WWE
アメリカのプロレス団体「WWE」の報告番組。
なんとなく流し見しています。
客の熱量や会場規模が日本とは段違いですね。
また、客もエンタメとはなんたるかを熟知してる感じがいい。
あの応援ボードみたいなの持参して観戦したいです。
あとSPいっつもボコられてない?笑
まあこんなもんです。
今はネットの海を彷徨えば、見たい番組はみれる環境なので、そこまで熱心に録画していません。
取り敢えず、今自分の中でアツいのは「笑けずり」ですね。
VIDEO
①ヤンキー
ホームセンターで買い物を済ませ、駐車場に戻ろうとしていた。
車に戻る前にトイレに行きたくなったので、入り口脇の男子便所へ進路変更して直行。
そうすると、駐車場の方から変な歩き方をしたゴリゴリの田舎ヤンキーがやってくる。
最初はヤンキー特有の威嚇歩行かと思っていたがそうではない。
それに、彼の表情はイラつきながらも、苦痛そうだった。
ヤンキーに悲しみの表情は似合わない。
僕と同時にヤンキーは入り口横のトイレに向かっていった。
僕よりやや前を歩くヤンキーのファッションスタイルを観察していると、ズボンのお尻ら辺に異変があった。
明らかに肛門の辺りから、茶色い汁が垂れ、ズボン表面をびちょびちょに汚しているのだ。
このヤンキーはうんこを漏らしているのだ。
うんこを漏らして、ホームセンターのトイレに駆け込もうとしていたのである。
威嚇ヤンキー歩きはただ単に、漏らしたうんこが太ももに付着しないようにするヤンキーなりの知恵だったのである。
日常生活でうんこを漏らすというエピソードは基本的にオタクやイケてない奴らの専売特許であるはずなのに、ヤンキーというミスマッチ。
ヤンキーだって人間だからうんこを漏らす、そりゃそうである。
アイドルはうんこしない理論のように、ヤンキーはうんこを漏らさないという思い込みが見事に崩れ去った瞬間であった。
典型的ヤンキーファッションだった彼のズボンはどうなるんだろうか。
ちゃんと付着うんこ部分だけ手洗いして、そのまま洗濯してまた使うんだろうか。
というかヤンキーは洗濯とかするんだろうか。
それとも、舐められるのが許せないヤンキー界隈に於いては、その「うんこを漏らす」というのは、後輩ヤンキーにも舐められ、しいては、地元界隈コミュニティーでもうんこ漏らしという異名をつけられ、ヤンキーカーストが下がってしまうのが許せないために、捨ててしまうのだろうか。
僕だったら街中でうんこを漏らした話は笑い話として他人に持ちネタのように話し、消化する自信があるが、ヤンキーにはその手の自虐トークが可能なのかも気になる。
やっぱ、舐められてはいけないという理念の元、ヤンキーをやってるのだから、本人的にも黒歴史化していくのだろう。
そんなことを思い巡らしていると、ヤンキーはトイレの個室に消えてった。
バサバサと必要以上に急いで服を脱ぐ音とカラカラというトイレットペーパーをまわす効果音の多さは、通常のうんこ以上であり、彼がうんこを漏らして、その付着うんこを拭いているという事実は外部からも明白であった。
焦るヤンキーを初めて見たかもしれない。
②ジジイ
風呂屋の洗面所でメガネを洗っていた。
そうすると、隣の洗面所のジジイが話しかけてきた。
「メガネをお湯で洗うと、視力が落ちるよ」
おそらく、メガネの品質が下がるというのをいいたいのだろうが、そのメガネ本体のクオリティを「視力」と表現するのに微妙に引っかかった。
また、メガネをお湯洗いするのがいいのか悪いのか知らないが、僕はいつも熱湯で丸洗いしていたので、そのルーティーンワークが否定されたのに若干イラっときた。
なので 、「このメガネはお湯洗いしても大丈夫な新製品です」と真顔で嘘をブッこんだ。
そうすると、ジジイは「そう…」と悲しげな返事をして去っていった。
もしかするとこのジジイは毎回、メガネを水洗いする輩を見つけると注意するのかもしれない。
そして、その注意を受けて「そうなんですか?今度から気をつけます」みたいなリアクションをもらうのに快感を感じていたのだろう。
しかし、「新製品」という自分の経験則にないテクノロジーを出されたので意外だったのであろう。
つまりは僕の勝ちである。
VIDEO