世の中には賛否両論を巻き起こす作品が存在する。
しかしそういう作品は大抵、少し取っ付きづらかったり、玄人向けのようなハナから全員にウケようとはしていないものが多い。
評価する側の人間も少し後ろめたさを持っているというか、評価しない側の人間のいい分が充分に理解できるのだ。
しかし、そういう趣向ではない作品にも賛否両論が発生する事がある。
しかも、男と女ではっきりとまっぷたつに評価が割れてしまうのだ。
一方では「感動した」、他方では「全く理解が出来ない」という不思議現象が巻き起こる。
代表的な作品は「スタンドバイミー」を挙げる事が出来る。
アメリカの東野圭吾ことスティーブンキングの「the body」(直訳すると『ザ死体』というストレートさ)を原作とし、ベンEキングのあの曲でもおなじみの映画。
小学六年生の夏休み、仲間四人で死体を探しにいくというシンプルなストーリー。
一夏の大冒険という男のロマンが詰まりまくっており、
自分の少年時代を思い返し、切なくなる事間違い無しの作品である。
あのノスタルジーな空気感は大人になるとより一層、味わい深くなる。
個人的には、最後の「中学に上がったら自然と喋らなくなっていった 」というエモさが堪らない。
とココまで絶賛なのだが、コレは典型的な男性的意見である。
女性からするとこの映画のどこが面白いのか分からないらしい。
あえて評価しているとしても「男の子同士の友情に感動♪」のような、本質が全く見えてない評価しか無い。
あの「切なさ」みたいのが一切理解できないというのが興味深い結果である。
もうひとつこのような評価を持つ作品が存在する。
東洋のスティーブンキングこと東野圭吾の「秘密」である。
こちらは娘と妻が事故に遭い、娘の体に妻の魂が宿ってしまうという少し不思議、まさに藤子不二雄で言うところのSFなお話。
妻の魂が宿った娘と夫の生活を描いた「泣ける」ストーリーだと僕は思っている。
東野圭吾もそういう方向性を目指して執筆していたと信じている。
しかし女性からするとまったく感動できないらしい。
若い体を手に入れて自由気ままに過ごす妻が許せないという意見が多発した。
やはり女の敵は女なのだ。
最後の件も理解不能らしく、本を読んで初めて号泣した自分が恥ずかしくなる笑
こんな感じで男女によって着眼点の違いや、感情輸入の仕方がまったく異なる故に評価が反対になる作品が存在する。
やはり男女で脳の作りが違うんだろうか。
かなり学術的に研究する価値がある題材だと思いますね。
あと、女性は絶賛で男は一切理解できない作品というのも見てみたい。
ストレートエッジという生き方がある。
八十年代のDCハードコアシーンが発祥で、 マイナースレットやフガジを率いたイアンマッケイを中心に出来た思想である。
特徴としては、ドラッグ、アルコール、タバコ、セックス(快楽目的)の禁止が挙げられる。
徹底的な禁欲が特徴的で、声を大にした主義主張するならばまず正すのは自分からという発想だ。
現代日本のひきこもり野郎ならば簡単に達成できそうな気がする。
しかし自分を慰める行為はコレに抵触するのか疑問が残る。
アメリカでは未成年のアルコール提供に関しては敏感で、ライブハウスのような空間でも明確に制限されていた。
そんな事もあり店側は未成年の手の甲に罰印を書く事により区別していたのだが、いつしか未成年が「アルコールなんてこっちからお断りだ!」と自ら罰印を書くようになり、ストレートエッジへつながっていったと言われている。
ハードコアというジャンルは音楽性の他にも精神性が重視されており、
常にカウンターカルチャーとして政治的主張や社会的主張が付随するものであった。
けどそんな文句言ってる割には自分たちがドラッグにまみれていたらどうしようもない的なところからストレートエッジは生まれたのである。
それまでドラッグアルコールにまみれていた腐ったハードコアシーンへの反抗だったのだ。
彼らの周りにそれらで自分をダメにしていく人間が多かったそうだ。
それに関連してヴィーガン(純菜食主義)もコレに含まれる事がある。
ヴィーガンというのは動物性のものを一切食わないというフードスタイルで、
その思想の源流には動物が殺されている食肉生産体制への反抗など挙げる事が出来る。
これも反体制的なハードコア的思想だよね。
動物性食品を拒絶する事により、殺されていく動物達を守るというものである。
菜食には健康、宗教的理由の他にヴィーガンのような思想的理由によるものがあるのだ。
一見、自己満足の様にしか見えないが自分を律するという所にも意味合いがあるのだろう。
自分の求める世の中は絶対達成できないけど、主張する人が居なくなったら終わりなのだ。
どちらかというとイアンマッケイは音楽を通した活動家と言った方がいいかもしれない。
ある種、宗教的な価値をもつ思想だったとも言える。
DIY精神に溢れ、自分たちの居場所は自分たちで作ろうとした。
もちろんそこに商業的要素は無く、活動を継続するための最低限の金銭しか求めないという特徴もある。
という自分用メモ。
最近、東京が舞台のアニメや漫画やゲームを探しまわっている。
あのメトロポリス感がクセになるのだ。
虚構の中の現実感というのがグッとくる。
少し近未来化されたいかにもな未来都市も堪らないし、崩壊した未来の都市も堪らない。
あと未来化されたのに全然変わってない下町も最高。
テクノロジーとノスタルジーが共存してると心を鷲掴まれる。
ああいう日本的センスはやっぱ日本人だから未来に最適だと思っちゃうのかも。
未来もいいけど、現代の東京が舞台なのもいい。
個人的にツボなのが、コナンとかデジモンとかの夏休み映画で出て来たあの真夏の都会感が好き。
夏休みに映画館の大スクリーンで見た思い出があるからかもしれない。
サマーウォーズとかもあれは田舎だけどなかなかいいとこ付いてくる。
フィクションなのに見覚えがある光景ってのが好きなのだろう。
知ってる気がするけどそんなものは存在しないっていう切なさ。
外人とかもこういう感覚あるのだろうか。
近未来東京が舞台のオープンワールドゲーを出してほしい。
足のボルトを抜く手術をしてきました。
今回は下半身の局所麻酔という事で意識がある中の手術。
初めての事なのでめちゃくちゃ期待してました。
前日から飲み食い不可で朝を迎える。
のど渇き過ぎて既に起きたときには枯渇寸前。
なのでお茶を飲んで三十秒口に含ませ、潤いを与えた後吐き出すという行為で何とかごまかす。
朝九時になるといよいよ手術タイム。
点滴を着けながら、徒歩で手術ルームへ。
めちゃくちゃ近未来的な空間が広がっていてビビる。
キューブッリク的世界観がまさに再現されていた。
そのまま手術台にのぼりオペスタート。
何か手術にチームがあるらしくて、助手の人がレンタル移籍でやってきたとかなんとか。
そういう業界事情みたいなのを知れると楽しい。
あと抜いたボルトいります?と言われたので、即答でモチと返答。
手術の映像が見れるか聞いたけど、そんなものはこのしょぼいオペに存在しないと一蹴。
そんな感じで談笑しながら、麻酔投入。
腰の辺りにぶっとい注射器をインサートするのだが、昔痛めた部分に凄い響いて、
「さすところ間違えてんじゃネーのか」という不安が止まらなくなる。
しばらくすると下半身にしびれが訪れる。
意識も何となくぼんやりとして来て心地よい。
先生が氷や尖ったもので痛覚をチェックしていき、完全に何も感じなくなったところで手術スタート。
それと同時にのれんみたいなタオルが掛けられ、下半身と上半身が区切られる。
産婦人科もののAVを想像してください。あんな感じのパーテーションです。
なのでコチラからは一切様子がうかがえなかった。
でも心拍数のモニタ音が聞こえたので、冷静になって心拍数を下げる遊びで暇をつぶす。
足下でガチャガチャしてたので、「もうはじまってます?」と聞くと、
既に切ってるとのこと。
全く感覚がない、さすが麻酔である。
手術は全く感覚がないし見えなかったので何をしているか良くわからなかった。
しかし、明らかにクランクのようなものでボルトを回していたのはビビった。
手術というより完全に機械をバラすような行程なのだ。
サイボーグ気分に浸る事が出来た。
しかし、ボルトはかなり骨と一体化しており抜けづらいらしく、なかなか力づくで抜いていたような気がする。
しかもそれが骨盤に響いてくるのだ。
それが心地悪く、かなりこちょばしくてニヤニヤが止まらなかった笑
女性がよく「子宮に響くわ〜」とかいってるけど、あの気持ちが少しわかった気がした。
そしてオペも最終行程にさしかかる。
それまで足に対して、横に刺さっていたネジのようなボルトを取り出していたが、
それによって固定されていた骨に対してまっすぐ突き刺さっていた長い棒を取り出す。
膝が曲げられ、それを上に引き抜く算段らしい。
力づくで引っ張っているようだがなかなか抜けない。
その振動が骨盤に響き気持ちが悪い。
しばらくすると先生が「アレ持って来て」と助手に伝える。
何が始まるのか期待していたら、いきなり「キーンキーン」と明らかに建設現場でしか聞き得ない音が聞こえて来た。
何とハンマーでボルトを殴り、無理矢理引っこ抜こうとしているのだ!
原始的というか、荒削りというかもう人間でも機械とあんまり変わらないのだなと思った。
なんとか大物を抜き終え、手術終了。
一時間ほどで終わったのだが、先生は次の手術を控えていたらしく、
「もうちょっとスピード重視したかった」というセリフを残し去っていった。
傷口を縫い、ベッドに寝たまま輸送。
ち○こに管を入れるらしく、ち○こを触られたのだが全く感触がない。
後で病室に戻ってからこっそりち○こを触ってみても一切感触がなかった。
体の感覚的にはあるのに、いざ触ると全くない。
これが幻覚という奴なのか?非常に不思議体験であった。
麻酔が掛かったままベッドで安静。
夕方ぐらいまで麻酔が抜けないらしく、非常に暇だった。
どんなに頑張って足を動かそうとしても全く動かないのはマジでビビる。
しびれの強化版の様な感覚がずっと続き、このまま動かなくなる恐怖も襲って来た。
それと下半身不随の人の気持ちが何となくわかった。
これはかなり辛い。
漫画「リアル」の「ベッドに寝たまま膝が立っているのに、それがわからず母親に『膝を立てろ』とキレるアイツ」のシーンが浮かんだ。
今なら共感できた。
そんな感じで一泊。
夜中に麻酔が切れ、激痛との戦いが始まる。
事故った時より痛いんじゃないかという鈍痛が足を襲う。
マジで死にかけたのでナースコールを呼び、痛み止めを投入。
しかもそれが座薬で看護婦さんに刺してもらうという情けない図だった。
ケツ丸出しで赤の他人に座薬をつめられるのはなかなかしんどい。
それと尿瓶でシッコするのも人間としての尊厳を失いそうになった。
アレは地味に精神をやられる。
看護婦さんからしたら仕事なので別に何ともないと思うのだが、
やられるこっちとしては情けなさで泣きそうになるのだ。
だからなるべくシッコは我慢した。
ナースコールで呼び出し「尿瓶お願いします」はかなり心にダメージを負う。
そして翌朝になるとすっかり激痛は冷めていた。
でもまだ歩けない感じの痛さはあるのでベッド上で安静必死。
点滴もあるので動けないのが地味にキツい。
尿瓶にシッコをするのもまだ慣れない。
足が不自由というのはかなり人間にとって行動が制限され、不自由な事なのだと改めて実感した。
更に一泊。
朝になると固定していた包帯やガーゼが取れ、やっと自由の身。
ガーゼが尋常じゃなく血まみれになっていた事に焦る。
そしてようやく風呂に入る事が出来、トイレも行けるようになり尿瓶からの卒業。
人間としての尊厳を勝ち取ったのだ。
退院できる状態らしんのだがどうせ暇だからという理由でもう一泊笑
最後の日は患者の関係で個室に移らしてもらい、健康で快適な入院ライフを送りました。
タダで個室行けてよかった。
コレで通算一年におよぶ、通院&入院生活が終わりました。
来週、抜糸すれば全て終了で自由の身。
あとは保険金がどのぐらい貰えるのか楽しみです笑