2015/09/03

最近出会った愉快な奴ら

①ヤンキー
ホームセンターで買い物を済ませ、駐車場に戻ろうとしていた。
車に戻る前にトイレに行きたくなったので、入り口脇の男子便所へ進路変更して直行。
そうすると、駐車場の方から変な歩き方をしたゴリゴリの田舎ヤンキーがやってくる。
最初はヤンキー特有の威嚇歩行かと思っていたがそうではない。
それに、彼の表情はイラつきながらも、苦痛そうだった。
ヤンキーに悲しみの表情は似合わない。

僕と同時にヤンキーは入り口横のトイレに向かっていった。
僕よりやや前を歩くヤンキーのファッションスタイルを観察していると、ズボンのお尻ら辺に異変があった。
明らかに肛門の辺りから、茶色い汁が垂れ、ズボン表面をびちょびちょに汚しているのだ。

このヤンキーはうんこを漏らしているのだ。
うんこを漏らして、ホームセンターのトイレに駆け込もうとしていたのである。
威嚇ヤンキー歩きはただ単に、漏らしたうんこが太ももに付着しないようにするヤンキーなりの知恵だったのである。

日常生活でうんこを漏らすというエピソードは基本的にオタクやイケてない奴らの専売特許であるはずなのに、ヤンキーというミスマッチ。
ヤンキーだって人間だからうんこを漏らす、そりゃそうである。
アイドルはうんこしない理論のように、ヤンキーはうんこを漏らさないという思い込みが見事に崩れ去った瞬間であった。

典型的ヤンキーファッションだった彼のズボンはどうなるんだろうか。
ちゃんと付着うんこ部分だけ手洗いして、そのまま洗濯してまた使うんだろうか。
というかヤンキーは洗濯とかするんだろうか。
それとも、舐められるのが許せないヤンキー界隈に於いては、その「うんこを漏らす」というのは、後輩ヤンキーにも舐められ、しいては、地元界隈コミュニティーでもうんこ漏らしという異名をつけられ、ヤンキーカーストが下がってしまうのが許せないために、捨ててしまうのだろうか。

僕だったら街中でうんこを漏らした話は笑い話として他人に持ちネタのように話し、消化する自信があるが、ヤンキーにはその手の自虐トークが可能なのかも気になる。
やっぱ、舐められてはいけないという理念の元、ヤンキーをやってるのだから、本人的にも黒歴史化していくのだろう。

そんなことを思い巡らしていると、ヤンキーはトイレの個室に消えてった。
バサバサと必要以上に急いで服を脱ぐ音とカラカラというトイレットペーパーをまわす効果音の多さは、通常のうんこ以上であり、彼がうんこを漏らして、その付着うんこを拭いているという事実は外部からも明白であった。

焦るヤンキーを初めて見たかもしれない。

②ジジイ 
風呂屋の洗面所でメガネを洗っていた。
そうすると、隣の洗面所のジジイが話しかけてきた。

「メガネをお湯で洗うと、視力が落ちるよ」
おそらく、メガネの品質が下がるというのをいいたいのだろうが、そのメガネ本体のクオリティを「視力」と表現するのに微妙に引っかかった。
また、メガネをお湯洗いするのがいいのか悪いのか知らないが、僕はいつも熱湯で丸洗いしていたので、そのルーティーンワークが否定されたのに若干イラっときた。

なので 、「このメガネはお湯洗いしても大丈夫な新製品です」と真顔で嘘をブッこんだ。
そうすると、ジジイは「そう…」と悲しげな返事をして去っていった。

もしかするとこのジジイは毎回、メガネを水洗いする輩を見つけると注意するのかもしれない。
そして、その注意を受けて「そうなんですか?今度から気をつけます」みたいなリアクションをもらうのに快感を感じていたのだろう。
しかし、「新製品」という自分の経験則にないテクノロジーを出されたので意外だったのであろう。
つまりは僕の勝ちである。

2015/09/02

くーかー

架空のものがツボ。
架空の地図に架空の本、はたまたバンドや音源など、この世に存在しないはずの場所やものを作り上げる楽しみ。
ありもしないものを現実のルールに即して自由な発想で作り上げる。
本の表紙だったり、CDジャケットやブランドロゴ、映像関係で言ったら予告編、NG集などなんでもいい。
その発想の本体は作り上げることなく、 側だけ作り上げてあたかも本体が存在するように見せるのがたまらない。

そのうち架空のものたちも相互に体系化してきて、とある架空のものの、元ネタは架空の何々で〜でみたいな架空あるあるや架空文化が成熟していくのもたまらない。
それの究極系が架空世界であって、現実とは似て非なるパラレルワールドを脳みそで作り上げる事さえできる。

そういう「俺の中の架空世界」みたいな妄想を爆発させた作品というのはあまり多くない。
小説や漫画などではそういう細かい設定に凝ったものは多数あるが、なんというか、物語排除で架空カルチャーを伝えてくれるものはあんまりない。
どうしても細かい文化や設定は物語に深みをもたせるギミックになるから、それ自体が細く語られる場はないし、チラ見せで想像するだけ。

だから、もう物語性なんかいらないから、そういう架空世界や文化をひたすら解説してくれる作品が欲しい。
著名な作品だと設定資料集やファンブックみたいなおまけ要素としてそういう欲求を満たすものはあるんだけど、もう、本体の作品なしでいいからそういうの見たいわけ。
そういう文化を体系化していって、それを元にみんなが独自解釈して面白いストーリー作っていくとか面白そう。

あと、架空とはちょっと違うけど、「俺があのバンドならこんな曲作る」選手権もやりたい。
そのバンドのコードあるあるとかそういう事じゃなくて、そのバンドの音楽性を理解しながら、新曲を作るっていう、オタクたちの極まった選手権ね。
二次創作とかそういう文化に当たると思うんだけど、あくまでも本人たちの精神性になって行うってのがミソで、パロディとかモノマネではないんだよね。
そういうトリビュート盤は見てみたい。

2015/09/01

架空バナー

バナーを作った。
自分で書いた「職業勇者概要」という本を実際にkindleで売っているので、なんかそれっぽい広告ごっこをしたくなった。
禍々しい感じになっていますが、本の中身は結構くだらない感じです。
あと、小さいバナーだけじゃなくて大きいバナーも作りたくなったので、作成。
「復刻プロジェクト」って銘打ってるけど、別にそんなのありません。
「勇者の住人」に至っては書いてすらない笑
完全に架空の表紙と広告だけで、この世に存在しない本なのです。

このサイトのいたるところにグーグルの広告に紛れてヘーヅラこいて貼ってあるので、確認してみてください。
一冊買うと僕に牛丼一杯分ぐらいのお金が入ります。

2015/08/06

ユニフォームの着こなしで見る甲子園ファッションの変化

アマゾンのkindleで「職業勇者概要」という本を買いています。
コチラから購入可能なので皆様ぜひご覧ください。(kindle unlimited会員の方ならタダ読み可能です)

高校球児ファッションというのが存在する。
甲子園に出ることに全てを賭ける彼らは高校生活の大半を練習着かユニフォームで過ごす。
いわば私服がユニフォームというパワプロくんのようなものである。
そうなると必然的に、ファッション文化としてのユニフォームの着こなしというのが存在するのだ。
主な要素として、帽子、アンダーシャツ、パンツ、ソックスにスパイク。
このほかにも、バッティンググローブやグラブ、バッグなど小物で魅せることもあるが、今回は、ユニフォームの着こなしについて論じていきたい。

まずユニフォームというのは基本的に学校が懇意にしているスポーツ用品店から一括で購入するのが常である。
同じ高校なら必ず同じものを着用するため、そこでファッション性に差異を見いだすのは難しい。
強いていうならば、ユニフォームのサイズ感と帽子の型の作り方があると言える。
では、高校球児はどこで差異を見せようとするのか?
それはアンダーシャツである。

アンダーシャツはユニフォームの下に着る、その名の通りのものであり、野球をやるものならば一番こだわりを持って着こなす衣類であろう。
アンダーシャツはユニフォームと違い、学校指定の色さえ満たしていれば、個人で購入することができる。

また、練習着に於いてもアンダーシャツはユニフォームと共通となるため、一番使用頻度が高いのだ。
もちろん、メーカー側もその需要に応えるべく、ありとあらゆる配色と型や種類を取り揃えている。
時代の流れとともに流行りというかトレンドがあるため、今回はそれを中心にお伝えしよう。

まず、00年代以前まで話は遡る。

眉毛も太く、帽子の型もおかしい。THE ・無頓着。
1980年中期から後期にかけてにKKコンビとして甲子園を席巻したご存知、PL学園清原桑田。
これは半袖であることから夏のものであると推察できるが、圧倒的な丸首のアンダーシャツが特徴的である。
また、半袖も若干ユニフォームから「たわん」といった具合にはみ出ており、普通のTシャツのような型であることをイメージしてもらいたい。
また、7部丈丸首というのも一般的であり、ラグランのような二色柄のものもあった。
寝巻きよのうなヨレヨレ感が凄まじくダサく、我が野球部ではおっさんコーチが着るそれを「パンダ」とバカにしていた思い出がある。 
俗に言う「パンダ」。抉るような丸首がダサさをさらに引き立てる。

まあ、時代性もあるが、この当時は高校球児にファッション性はあまり重視されておらず、軍隊的なユニフォームからの変化の途中といったほうがいいだろう。
ちなみに、昔のユニフォーム(戦前など)はさらにダボ付いており、ルーキーズのようなダサさを想起させる。

ここら辺からかっこよくなる。

時は流れて1998年。
こちらもご存知、当たり年であった松坂世代筆頭の松坂大輔。
この辺りから、高校球児にファッション性が備わってきたと勝手に思っている。
画像に分かる通り、合理的なトレーニング技術普及による球児の体の成熟化も手伝って、筋肉質な肉体にややタイトめなユニフォームを着こなすというスタイルがはやり始めるのである。
それだけでなく、一番注目して欲しいのが半袖ハイネックの台頭である。

ハイネックというのは冬場のアンダーシャツとして清原世代から利用されていた。
ハイネックに腕のところがキュッと締まったアンダーシャツは寒い時期の練習や試合には重宝されていたのだ。

いわば防寒的な側面からの発展だったのだが、この画像は半袖でもなくノースリーブである。
ユニフォームの袖からアンダーシャツが袖なし故にはみ出さないというのも特徴であり、巨乳の女性が着るとたまらないデザインが高校球児に取り入れられたのである。

夏場に女性が着てるとテンションあがるやつ。

また、帽子の型もカッコよくするのがブームとなり、つばは八の字にクッと曲げるのがかっこいいとされたのである。
甲子園というのはある種の球児ファッションの展示場でもあり、強豪校と懇意にするメーカーなどは、こういった新しいスタイルの商品を選手に着てもらい、宣伝をしまくり、全国の野球少年にムーブメントを起こすというマーケティング的な役割もあるのだ。

ちなみに、この画像の松坂のグローブは青いワッペンからもミズノのビューリーグという、下から二番目のランクの低いグローブであるのがわかるのだが、実はこれは、ミズノプロという最高ランクのグローブのワッペンだけを張り替えたものである。
甲子園出場するような強豪校は大抵、最高レベルの道具が支給されるので、ビューリーグというのはありえないのだが、テレビを見る全国の子供達に、彼らにとっては安くスタンダードであるビューリーグのグローブを買ってもらいたいがための戦略であるのだ。


このような感じで甲子園は、野球ファッションの宣伝、先端の場としての役割を得たのである。

高校球児ファッション確立期。帽子のダサさは当時から否めなかった。

さらにそれから八年後の2006年、ハンカチ世代。
2,000年代に突入してからアンダーシャツは大きな変化を見せることになる。
画像の斎藤佑樹から分かるように、ピチっとしたコンプレッションウェアが大ブームを見せるのである。
その発祥はアメリカはアンダーアーマー社であり、元々はアメフトの選手のアンダーシャツとして利用されていたが、それがメジャーで流行り、日本球界に黒船到来といった感じである。
もちろん、高校球児もその影響力は無視することができず、2003年辺りからこのピチっとウェアは流行り始めてきたとされている。

特徴として、近未来的なシルエットのファッション性の高さ以外にも、着心地や汗を吸ってくれる機能性の面からも真新しいものがあり、一気に「カッコイイもの」としての地位を得たのである。
このアンダーアーマーシャツの大ブームを経て、日本のメーカーからも類似商品が多発し、時代のスタンダードになり得たのである。
まさにアーマー。このUAロゴチラ見せがかっこいいんですよ。

ちなみに、この手のアンダーシャツは従来のものに比べるとお値段も高く、練習時は従来の安いアンダーシャツを着まわし、試合の時は気合を入れて、これを着るというのが一般的であった。
これを複数枚所持するのは金持ちアンド野球うまいやつの象徴であり、みんなの憧れの的であったことを当時の野球少年であった筆者が補足しておく。

また、選手の体型の肥大化も合理的トレーニングや食事訓練の確立により顕著になり、さらにユニフォームはピチっとしたものになっていくのである。
彼らはファッションの基本が衣類ではなく、体型ということを知っているのである。 

そしてこの画像のマーくんからもわかるように、帽子の型作りも重要な要素となってくる。
つばを八の字に曲げるのだが、その曲げ方に個性が見られるようになり、ただ曲げるのではなく、先端を曲げたら、その外側は外に開くように逆に曲げるというのがトレンドであった。
また、帽子の頭の部分も、ポチより前側(つば側)を若干へこませ、浅くかぶるというのも流行の兆しを見せていた。
この辺りから、高校球児ファッションは他の野球ファッション(プロや大学野球)と差別化が顕著になり、ドメスティックなガラパゴス化が始まるのである。
アンダーシャツ進化の袋小路に入り込んでる感じがアリマスネ。


そしてそこから5年経った2011年。
画像は現阪神の一二三選手。
アンダーシャツの進化もどんどんと加速化し、個人的であるが、この辺りから高校球児ファッションからかっこよさが消え、「やりすぎでは?」という感情が巻き起こるようになった。
画像の通り、コンプレッションウェアは甲子園のスタンダードとして地位を完全に掌握し、次なる進化を遂げようとしてた。
そう、ハイネックを超えて、タートルネック化が始まったのである。
 上野クリニックばりにタートルを極めるようになり、こんなクソ暑いのに首元までぴっちりとアンダーシャツで包まれるようになり、それが大流行したのである。

らしいです。

  また、帽子のつばの型曲げもこの辺りが最盛期となり、前述した型作りもさらにやりすぎな方向へ突っ走り、もはやチョコンと帽子を乗せただけの選手が続出したのである。
この時期の甲子園はプレー中に帽子がとれる選手が多発していた思い出がある。

ぶっちゃけ7分丈はダサい。

そしてさらにその二年後、2013年。
画像はカット打法で物議を醸した千葉くんと花巻東の面々。
タートルネックの台頭でガラパゴス感溢れるようになった甲子園に、7分丈のアンダーシャツが大流行することになる。
腕まくりができない コンプレッションウェアにとって7分丈というのは非常に便利がいいらしく新たなファッションとしても確立し始めたのである。

7分丈+タートルネックの混ぜるな危険。

また、タートルネックは一大ムーブメントを起こしたものの、やはり年々暑くなる地球環境もあってか、夏の大会ではその息をひそめるようになり、従来のハイネックを使用するものが増えてきたのもこの辺りである。

また、帽子の型作りについてであるが、あまりにも全国で「やりすぎ」という風潮が出てきたため、禁止令を出す高校も増え、その猛威は幾分か収束し始めたのもこのころであると記憶している。

そして、ユニフォームのぴっちり化はそんな規制やりすぎな風潮の影響を全く受けることなく、どんどんと進んで行くことになる。
もはや、サイズ間違いでは?という具合まで来ているが、どんどんと進み、現在のトレンドであることは間違い無いだろう。

そして最後に今年、2015年。
進化を遂げる甲子園ファッションにも原点回帰の兆しが昨年辺りから見え始めてきたのである。

ゴツくないと似合わない諸刃の剣。

画像は現ソフトバンクの古沢選手。
見てお気づきの通り、首元を覆う一方であったタートルネックやハイネックよりも、原点回帰な丸首が台頭してきたのである。
またピチっとしたコンプレッションウェアだけでなく、ややゆったり目の素材のアンダーシャツも復活の兆しが見えてきているのである。

これは筆者が記憶する限りでは、二三年前のメジャーリーガーがこの丸首ゆったりタイプのアンダーシャツを着始めたのが元祖であると思う。
その後、一年遅れぐらいで、日本球界にもやってきており、巨人の村田や日ハムの中田翔など、肩幅の広いパワーヒッタータイプが好んで着るようになったのだ。
勿論、高校野球にもその波は確実に訪れており、現在、リアルタイムで開会式を視聴しているが、丸首は明らかに増加していると言える。

マッチョじゃないとダサさ倍プッシュ。

ただ、この丸首タイプの難点はメジャー発祥であることからも、肩幅の広く、胸板の熱いがっちりとした体型しか似合わないところにある。
年々、体格が豊かになる高校球児といっても、それが似合うレベルまで肉体が仕上がってるのは稀であり、大流行とまではいかないのでは?という予想をたてることができる。

現にハイネック、タートルネック、長袖タイプ、7分丈の選手も生き残っており、今年の甲子園は丸首がトレンドながらも様々な種類のアンダーシャツを見ることができるだろう。

そして、もう一つ顕著なのが帽子の型作りの変化である。
八の字スタイルは一気に息を潜め、つばをあまり曲げない原点回帰なスタイルがまた流行りだしている。
特にメジャーリーグなどでは、純粋なファッションアイテムとしてのニューエラーキャップの大流行を受けてか、つばをほとんど曲げないスタイルが、野球にも逆輸入されるようになった。

写真はイメージです。

やはり、その風潮も日本球界に着々と受け継がれており、特にベイスターズやオリックスの選手がそのスタイルを模倣している。

メジャースタイルの体現者・筒香嘉智。

当然、その影響は高校球児にも伝搬しており、それを受けての八の字型からの脱却が見られると考察できる。
しかし、高校球児はプロのスタイルをそのまま真似るのはダサいという風潮がまた別に存在するため、今年のつばのようないい塩梅に収まっていると考察できる。


リトル時代の清宮。つばの型は当時の流行直下型影響スタイル。

早速トレンドを取り入れたつば。早実はアンダーシャツ丸首よりもこっちのほうがエリート感出るよね

ここ数年のトレンドの変化の速さは凄まじいものがあり、現在進行形で把握できない新たな流行も発生するであろう。
といっても、今年の丸首、平行つばトレンドからもあるように、当人たちには原点回帰ファッションとしての意識はないだろうが、ある種、時代が一周した感もあるため、結局は流行も一般的なファッションと同じようにぐるぐると何周もするのではないかと思われる。 

とにかく、これらの要素は一周した感あるものの、ユニフォームピチピチ化は未だ限界を知らず進歩の歩みを止めることないため、それがどこまで続くかが、見ものである。
こういった視点からも高校野球を楽しむと、さらに文化としての高校球児の奥深さに気づくことができるだろう。