2013/12/11

隠しgoto

隠し事をしながら生きると少し人生が楽しくなります。
ただし、人を殺したとか、壮絶ないじめを受けていたとかネガティブなものは除いて。
何か一つ、ポジティブな事を身の回りの全員にハイドしながら生活する楽しさってわかりませんか?

例えば実は彼女がいるとか、ある分野では凄い人とかそいういのでいいです。
中二ストーリーによくある、「日中は冴えない学生だけど、夜になると能力者としてそっちの世界では名を馳せている」みたいな感じに憧れるのですよ笑
絶対にバラしてはいけません。
何気なく話していて、ふとした瞬間に「こいつ俺が彼女居るってことしらないんだなー。」と思ってしまうあの瞬間がたまらないです。
もちろん、それがバレた時の長期間、騙し通せた!って感じも好きです。
相手からしたら、堪ったもんじゃないと思いますが笑
友情や回りとの関係をぶっ壊すような隠し事は辞めた方がいいかもしれません。

隠し事というか言って無いだけって方がしっくり来ますね。
只聞かれなかったからいわなかった。というシンプルな言い訳が素晴らしい。
これを徹底するだけでミステリアス人間を気取る事ができますよ。
謎の多い奴に憧れがあるのですよ。

ただ問題なのが、こういう自分ルールを課してしまうと自分の事がナンにも話せなくなってしまうんですね。
雁字搦めで非常に生きづらい日常を送る事になります。
なので隠し事とそうでない事のバランス感覚も重要になってきちゃうんです。
あと、「無い事を有る 」っていっちゃうのもダメです。
それだと只の嘘つき野郎になっちゃって、非常に浅い人間が爆誕するので注意してください。

ちなみに僕はこのブログの存在を知り合いにはひた隠ししています。
まあ、早々バレるもんじゃないってのもあるけど、やっぱり恥ずかしい気持ちが強い。
でもたまにはちょっとバレたい願望のような色気が出ちゃう時もあるけどそれをグッと我慢。
何年後かに「実はあのときこんなブログやってたんだぜ〜」ってさりげなくアピールするのが今のところの夢です笑
それか「このブログすげーおもろいと思ってたんだけど、お前だったのかよ!」みたいなバレ方も理想ですね。
自分で書いててださ過ぎる笑

こんな事考えてる時点で凄い徳の低い人間だと改めて実感。

2013/12/10

師走

もう年末。
この前まで糞暑いと思っていたのにあっという間。
年末のあの雰囲気はかなり好き。

というか冬休みってヤバいよね。
特に小学生の時なんて、テンションの上がりようはハンパ無かった気がする。
だってテレビが見れるから笑
朝起きて、家族と飯食って、「宿題しなさいよー」といいつつ仕事に向かう親を見送った後にはもうこの世の自由を謳歌したもんです。
答えてちょーだいを流し見しつつ、fnnニュースになったら作り置きの昼飯を食べる。(あのおにぎりとか前日のオカズとか詰め合わせてあるめちゃくちゃノスタルジーな奴ね)

飯を食い終えたら、いいともを視聴。
なぜか小学生の頃はいいともを見るのがステータスだと思っていた笑
たまにしか見れないからそういう認識があったんだと思う。

そして年末仕様のごきげんようを見終えてた辺りから、段々、テレビに開き始める。
再放送とか芸能ニュースとかまじで興味なかったので魔の時間、つまり魔境が訪れるのだ。
そういうときには、教育テレビに逃走を図る。
学校早退したり、サボった時と同じように、昼間の教育テレビば非常にエモい。
あの感じはヤバいよね。
特に幼児向けのプログレっぽい番組は非常にレベルが高く満足していた。
大人になってアレを見てもまったく意味が分からないところが凄い。
しかもあの狂ってる感じを大人達が狙って作っていると考えるとさらに感慨深いものがある。
メイキングが見たいものです。

んで夕方ぐらいになるといきなり雪が降り始めてテンションがあがる。
あしたはつもるぞなんて思いながら窓から外を眺め続ける。
テレビからは年末仕様のスペシャルなcmとかが流れてさらに雰囲気マックス。
ああ、書いてて当時の事を思い出す。
非常に堪らない。

もう一度、あの頃に戻りたい。

2013/12/08

スレーヴ

久々の更新ですが完全にブログに飽きています笑
というか最近微妙に忙しくなって来たので、更新する暇がないんだよね。
家帰って来ても凄い疲れてるし、やる事も残ってるからこんなくだらない文章書いている場合じゃないんです。
まあ、言い訳なんですけど。

というか書きたい事が余りなくなってきたってのもある。
アンテナ張れて無い状態が続いているのですよ。
ちょっと前までは毎日更新してたけど、あの時はブロガーズハイみたいな感じで毎日書きたい事が湧き出て来たんだよね。
多分、めちゃくちゃ暇だったからあんなに頑張れたと思う笑
ギリシャで哲学が生まれたのはめちゃくちゃ暇だったからというのを裏付けるエピソードですね。
昔のギリシャ人の哲学者ってのは只の金持ちニートなんですよ。
身の回りの事は奴隷に任して、自分は悠々自適に過ごす。
暇すぎる故に、哲学とかいう概念を生み出しちゃった訳なんですね。
だから哲学を学ぶ時は「こいつら暇過ぎたんだなあ」と思いながら学習すると、なんだか切なくなりますよ。

このブログは哲学って訳じゃないけど、暇な時ってのはアイディアとか発想が生まれやすいんですね。
くだんねーこと考えてる奴ってのは心にゆとりがある訳ですよ。
暇というか気の持ちようってのもある。

だから何が言いたいかというと、奴隷制度を復活させろってこと!
あれは素晴らしい。
イメージ的には白人が黒人を買って来て鞭でこき使う、ってのがあるけど実際は全然違うんで酢。
確かにそういうブラック体質なところモあったけど、本当は住み込みのお手伝いさんを雇う感じなんすね。
マネージャーとか付き人が現代の奴隷に近いかもしれない。
でも現代と違うのは奴隷に人権はないんです。
常に主人の言いなりで、自由なんて一つもない。
そりゃ一応人間だから、主人も休ましてあげたりするけど、真のリバティーは望めない切なさがある。
ここをどうクリアするかが現代における奴隷制度復活の鍵となる気がします。

ちなみに奴隷は自分自身を買い取って自由身分を手に入れる事が出来ちゃうんです。
だから奴隷として買われたら一生そのままって訳でもないんですね。
これはなかなかモチベーションになる気がする。

奴隷とはいわないけどマネージャー的な存在が欲しい今日この日頃。

2013/12/01

フィックション

架空のバンドを考えて、勝手に曲とかライブを妄想する事がある。
こういう遊びは凝れば凝る程面白い。
名前は勿論、ジャンルやレーベル、ロゴ、ジャケットデザインまで考えるともう止まらない。
このまま架空であるのがもったいないぐらいのバンドになる。
夜寝る前に、目を瞑るとおもむろにこいつらの曲が再生されるぐらいまでになってしまうのだ。

しかし、曲は頭の中でかっけーのは鳴っているものの、それをフィードバックするスキルは皆無なので永遠にお蔵状態。
デザインも同じ理由で頭の中だけに存在する。
発想はあってもそれを実際に形にするのは相当難しい。
コレが皆様に伝えられないのがとてももどかしいのだ。
もし技術さえあれば!と常に無力さを感じる。
Tシャツとかステッカーはマジで作ってみたい笑

でも考えるだけならば誰でも出来るし、どんなぶっ飛んだ設定でも頭の中だけなら許されるのでたのしいんですね。
自分を楽しませるためのものだから、一番いいものであることは間違いないんです。 
人が満足するかは度外視で自己満足の塊なのですよ。

渾身のセンスで真面目にかっけーと思いついたバンド名でググったときに、実在する凄いダサイv系のバンドがでてきたときは自分のセンスを疑いますね笑
こいつらと同じ発想かよ的な。